ポンペイ展の紹介と感想
こんにちは、にこいちです。
上野の東京国立博物館で開催されている「ポンペイ展」に行ってきました。展示物を写真で紹介しながら(展示物の写真撮影は原則自由)、感想を書きたいと思います。
1.ポンペイの遺跡って何?
ポンペイは、イタリア中部にあった都市です。葡萄栽培が盛んで、裕福な市民も多く住んでいました。奴隷はいましたが身分は流動的で、親が奴隷でも子供ががんばって富裕層になった例もあったそうです。
79年にベスビオ山が噴火し、噴火後に発生した火砕流に街は飲み込まれ、市民ごと埋没しました。
2.展示物の紹介(5部構成)
「第1章 ポンペイの街:公共施設と宗教」では、公共施設にまつわる作品、特に、ポンペイで信仰されたアポロ、ウェヌス、イシスといった神々に関する出土品(彫刻など)が紹介されていました。
「第2章 ポンペイの社会と人びとの活躍」では、裕福な市民たちの暮らしぶりが分かる出土品(壺や装飾品など)が展示されていました。
女性はどのような仕事をして裕福になったかというと、不動産業(貸部屋など)をしていたようです。
「第3章 人びとの生活:食と仕事」では、台所用品や食器類、黒焦げになった食材が展示されていました。また、医療用具、画材、農具、工具など、ポンペイの住民が使っていた仕事道具を紹介されていました。
「第4章 ポンペイ繁栄の歴史」では、3軒の邸宅「ファウヌスの家」「竪琴奏者の家」「悲劇詩人の家」をとりあげ、会場内に邸宅の一部が再現されていました。
第5章 発掘の今むかし」では、18世紀から現在に至る発掘の歴史が紹介されていました。
3.感想
(1)いくらお金があっても自然の災害には勝てない
数々の出土品から明らかなように、ポンペイ市民の中には途方もないお金持ちもいました。しかし、いくらお金があっても火山の噴火という自然の災害には勝てません。自然災害の前では皆平等であるという残酷な人生の一面を見たような気がします。
(2)お金持ちの「栄光よ永遠なれ」という願いが期せずしてかなってしまった悲劇性
成功している人は誰でも「自分(や子孫)の栄光よ永遠なれ」と願ったことがあると思いますが、ポンペイは街ごと火砕流に埋没することにより、当時のお金持ちの栄華が半永久的に保存されることになったのは皮肉であり、悲劇であるように感じます。
(3)優れた美術品は時を経ても残り続ける
優れた彫刻、絵画(タイル画、壁画)は、製作をした芸術家やモデルの名前は残らなくても、作品は永遠に残り続けます。また、当時の生活(服飾品など)を後世に伝えてくれます。美というのは、経年劣化に勝つ唯一の手段なのかもしれません。
(4)ヨーロッパの美男・美人の尺度は数千年を経ても変わらない
特に彫刻を見て思いましたけど、美男は筋肉ムキムキ、美女はすらりとしてほどよくグラマーな身体。顔も、今でも通じるハンサム、美女が揃っています。日本だと、昔はうりざね顔の細目が美人だったりしますが、ヨーロッパだと時を経ても美男・美女の尺度はあまり変わらないのだなあと思いました。
(5)すべての展示品に4か国語の説明がついていたことに対する驚き
すべての展示物には、日本語、英語、中国語(簡体字)、ハングルで、名称が書かれていました。また、(すべてではありませんが)主要な説明や展示物については、説明文もこの4か国語で書かれていました。母語が日本語でないお友達がいても、一緒に楽しめる展示になっています。
(6)採掘・復元の果てしない努力、遠く離れた日本で開催されたことに対する感謝
モザイク画にはひび割れの跡があったりして、割れてバラバラになった破片を組み合わせ、つなぎ合わせて、1枚の絵画に復元するまでの発掘・復元に対する並々ならぬ努力を感じました。展示物を貸してくださったナポリ国立考古学博物館、主催者、協賛者、後援者の皆さんのチームワークがなければ、これだけの展示物を運搬し、展示できなかったように思います。コロナ禍で海外旅行に行けない日が続いていますが、ポンペイ展の開催により、日本語で、ポンペイの主要な展示物の解説を読みながら、鑑賞できて本当によかったと思います。関係者の皆様、ありがとうございました。
4.ポンペイ展は2022年4月3日まで開催しています。ご興味のある方は是非いらしっしゃるとよいと思います。
それでは、また。