書評「自分の意見で生きていこう」

こんにちは、にこいちです。今日は、1月11日に発行されたちきりんさんの著作「自分の意見で生きていこう」の書評を書きます。

 

ここまで書評を書くのが遅れたのは、正直に言えば、この本が私には非常に難しく感じたからです。ちきりんさんの言葉自体は平易な日本語で書かれているのですが、読者に対する要求水準が非常に高く、読み進むうちにぐさぐさナイフで刺されているような痛みを覚えます。なので、正解のない問題に対し、苦しみながらも自分にとっての答えを探し続ける意欲のある人でないと、読んでいてつらい本だなと思いました。

 

1.意見とはなにか、なぜ必要なのか。

(1)要約

ちきりんさんによれば、世の中のあらゆる問題は、「正解のある問題」と「正解のない問題」に分類されます。「正解のある問題」は調べれば正解の出る問題、「正解のない問題」は調べても正解が出ない、すなわち人がそれぞれ嗜好により選択すべき問題で正解がないものをいいます。「正解のある問題」は例えば手術の成功可能性、「正解のない問題」は例えば実際に手術を受けるべきかです。

「正解のある問題」には「正解」(=事実)か「誤答」(=事実に反する)があり、これは調査すれば分かるものとされています。しかし、「正解のない問題」に対しては、さまざまな「意見」があるだけで、「正解」も「誤答」もありません。カリスマや世間の常識も「正解」とは限りません。

また、重要な問題や人生には正解がありません。それは「どんな人生がもっともよい人生なのか?」という問いに正解がないから、とちきりんさんは説きます。もし「どんな人生がもっともよい人生なのか?」という問いに答えがあって学校教育等で教えられるものであれば、ダイバーシティ(多様性)に乏しくなり、社会の持続的発展にマイナスの影響を与える、と考えているそうです。

(2)感想

私は、この最初の章からつまずきました。最近読んだ別の本には「何をもって幸せとするかは人それぞれで、定義するのは難しい。とはいえ、誰にとっても共通の要素はある。それは、『思い通りの人生を送れること』だ。好きなときに、好きな人と、好きなだけ、好きなことができる。それは、何物にも代えがたい価値がある。そして、これこそが、お金から得られる最高の配当なのだ。」(モーガン・ハウセル箸「サイコロジー・オブ・マネー」126頁)とあって、私のモヤモヤ考えていたことをまさにまとめてくれたのが、この言葉だったからです。「どんな人生がもっともよい人生なのか?」に対する「正解」ってあるじゃないか、と思いました。

だけど、つらつら考えてみると、「思い通りの人生」は人それぞれであって、そこには「正解」はないのではないか、ということに思い至りました。例えば、学校的には、”見目麗しく生まれ、一流の学校を入学・卒業して、一流の会社に入って希望どおりの仕事をして出世して、経済的にも不自由なく、恋人・結婚相手や子供に恵まれ、友人や親せきにも恵まれ・・・”というのが「正解」となっている感じはします。だけど、皆が皆そういう生活はできないし、希望しているとも限らない。例えば「自由」を何より愛する人であれば結婚しないし子供もいらない、という選択になりそうです。

だとすると、ちきりんさんの言っていることと「サイコロジー・オブ・マネー」の言っていることは矛盾することではなく、むしろ相互補完関係にあるのかなあ、という感想に落ち着きました。人が「思い通りの人生」を歩み幸福になるためには、個々人が正解のない問題(選択肢)に対して決断し、自分なりの「意見」を持つことが必要だという結論になると思います。

 

2.「反応」だけではダメな理由

(1)要約

ちきりんさんは、「反応」(独り言)は「意見」とは異なると説きます。

「意見」とは発言者の立ち位置(ポジション)を明確にするものでなければなりません。他者の意見の否定や質問は「反応」であり「意見」ではありません。

「議論」はお互いの「意見」をぶつけ合うことなので、「反応はするけど自分の意見はない人」は「議論する価値のない人」として扱われてしまいます。

SNSの発達により「反応」する人は増えているけど、「意見」をいう人は増えておらず、インフルエンサーになるのも意見を言える人だけ。

意見を言えるようになるためには、①面倒臭さや「間違っているかもしれない」という不安、②反論されることへの不安、③リスクをとりたくない気持ちを克服する必要があります。

自分の意見が本当に自分の頭で考えた意見かどうか(=偉い人に左右されていないか)が重要であり、それを確認するためには偉い人が意見を翻した場合にも不安にならないかを確認する必要があり、もし不安になるのなら、不安にならないレベルまで考えつくす必要があります。

(2)感想

ここも、私にとっては痛みを伴う指摘でした。「反応」は頭を使わなくていいので楽だし、「意見」を言って反論されたら対応が正直面倒臭い、という気持ちがあります。「意見」を言っても、文句をつけられたり、「理窟っぽい」と言われて無視されたりってこともあったし。

でも、ちきりんさんの言わんとすることは分かる気がします。自分の「意見」のない人と話をしても、話に発展性がなくて、つまらなくて、時間の無駄のように感じますから。自分に「意見」がなければ、先方に同じように思われてもしかたがないのでしょう。

色々な不安や面倒臭さを乗り越えて、「反応」ではなく「意見」を言うようにしたいな、と思いました。

 

3.SNS時代に「自分」を創る

(1)要約

SNSで知らない人たちから「承認」されるためには、積極的かつ意識的に、自分の内面情報(その人がどんな人なのか、よくわかる情報)を提供する必要があります。

また、ネット上の人格がリアル社会における人格と同じくらい重要になりつつあり、就職や転職をする際の判断材料になることも増えてきました。人事分野で人工知能(AI)が活用されることも増えてきました。これからの時代、ネット上で自分の考えを発信しない人の思考記録はゼロと判定され、学歴がないのと同じ位不利になるとちきりんさんは予想しています。

かといって発信を極度に怖がる必要はなく、ネット上の発信はリアル社会でのふるまいと同じと考えて、年相応のマナーを守れば自分のありのままを表現すればいいのではないか、と提言されています。また、発信のホームベースをひとつに決めてまとめたほうが有利とか、自分に合った表現方法(言葉でなくてもOK)で途中経過も含めてどんどん発信するとよい、というコツもまとめられています。

(2)感想

ここは、比較的気楽に読み進めることができました。これからも、犯罪や法律違反、その他のマナー違反にならないように気を付けつつ、気軽に自分なりの発信を続けていきたいと思います。

ちなみに、私は、最近、ツイッターでもブログでも書評を書くことが多くなっています。自分がどういう分野に関心を持っているか、どの本にどのような感想を持っているかを発信することにより、自分の人となりを知ってもらえるかな、と思っているからです。

ツイッターで紹介するときは、広く浅く気軽に宣伝したいときに使っています。町の本屋さんになった気分でやっています。ブログはもっと思い切り思い入れがあり、親族や友人に配るレベルで気に入っている愛読書に限って紹介しています。

 

4.生きづらさから脱却しよう

(1)要約

生きづらさ問題の背景にあるのは「学校的価値観」(例えば、「友達の多い明るい子」が正解など)や同調圧力。ワンパターンな生き方を全員に目指させると、様々な人が生きづらくなったり、卓越した才能を潰してしまうリスクがあります。

世の中には「答え合わせが必要な人」と「答え合わせなど必要としない人」がいます。「答え合わせが必要な人」がいつまでも他人の反応を気にすると、自己肯定感が持てず、また、「強い他者」に依存するリスクがあります。そうならないためには、自分が好きな生き方や分野を選びそれを選んだ理由について考えつくすこと、自分で自分を理解し肯定することが必要です。

そのためには、自分の意見を日記やメモなどにまとめて束にして分析し、他人に開示することが役に立ちます。

(2)感想

この章は、うなづきながら読みました。

私も、特に小学生のころは学校に馴染めず、劣等感が強かったです。学校の教師や親が望む「勉強のできるよい子」にはなれず、「いいお嫁さん」になるための女の子らしいことにもあまり興味が持てず、ぼーっと考えごとをしてはボソっと理窟っぽいことを言って、同級生にいじめられたりしてました。かなり世間知らずで、小学校4、5年生まで高校と大学の違いを知らなかったし、「TODAI」とは「灯台」のことだと思っていました。灯台守って社会的地位が高い割に楽な仕事なのかなとか思ってたので、そういう名前の学校があると知ったときには非常に驚きました・笑。

小学校3、4年生のころ、学校的価値観にずっと違和感を抱えたまま「自分なんか世の中にいないほうがいいのかしらん」とか2年ほどつらつらと考えていましたが、あらゆる方面からためつすがめつ考えてみても、自分がそう感じるということは自分はそういう人間(=学校的価値観が合わない人間)で、それを受け入れて生きるほかしょうがない、人様を傷つけるわけではないし自分としてはどうしようもないからこのまま生きる、という開き直りの境地に至りました。また、そのころ、弱い自分を助けに来てくれる「白馬の王子様」とか「ヒーロー」を心から望んで天に向かって祈ったりしてもみましたが、そういう人は全く現れなかったため、自分で自分を救う「ヒーロー」になることに決めたのもよく覚えています。

その頃にあこがれた職業は「魔法使い」や「魔女」。弱い自分でも呪文を唱えたり、薬草を煮たりすることで、人を救ってお金を稼げると思ったから。

大人になって職業を決めるときも、「魔法使い」や「魔女」に近い、言葉で人を助けられる仕事を選びました。

そういう意味では、小学生のとき悩んで考え抜いたことは、将来の自分を形作る上で非常に役に立っています。

 

5.リーダーシップの最初の一歩

(1)要約

本当の仲間ないし家族と認められるためには、ともに考え、議論して方針を決め、ともに進むことが必要。リーダーシップをとらない単なるフォロワーは本当の仲間と認めてもらえません。リーダーシップの第一歩は自分の意見を持つこと。日本の「専門外のことには意見をいうべきではない」という風潮だと問題がいつまでも解決されません。意見をいう人は失敗しても学びがあって成長し、必ず評価されるので、めげずに意見を発信し続けることが重要です。

(2)感想

ここも耳が痛かった。自分の興味がない分野はついつい「お前にまかせる。好きに決めていいよ」と言っちゃいがちだし、自分の意見で相手が迷惑するといけないなと思うと意見を言えなくなったりします。が、今後は勇気を出して、自分なりの意見を言ってみようと思います。

 

6.オリジナルの人生へ

(1)要約

人生で重要な選択を迫られたときにどう決断するか、習ったことがある人はいません。特に、日本は組織のトップだけが意見を持てばよく、その他大勢はそれに従ったほうがよいという価値観で運営されてきました。

しかし、バブル経済がはじけて以降、日本ではイノベーションの重要性が強調されるようになりました。イノベーションに必要なのは、「あいつはバカだ、そんなの無理」と言われても自分の意見を貫けるような強い意見をもつ人です。また、グローバル化が進む中、明示的に意見を表明しなければ相互理解は進みません。加えて、男性中心の年功序列社会からフラットな社会になったり、低成長で様々な人が困難に直面したり、選択肢が豊かな社会では、自分で意見を持つことの重要性が高まっています。加えて、AIが発達した社会では、調べればわかることよりも自分で考えつくした意見を持つことこそが人間の価値となります。

リアルな議論の場を自分の周りに作りだしましょう。誰かが主催している勉強会を探したり、講演会を聴きに行くことに加え、自分から意見を発信して、家族や同僚、同級生など身近なところから議論ができる仲間を拡げていきましょう。

(2)感想

私はこの結論の章を読んで、自分の意見をもっと表明してみたくなり、2月中旬に新たに開始される個別株の勉強会に参加を決めました。「自分はAという株に投資したいと考えている、その理由は~」という意見と理由(調査の結果)を複数の人の前でプレゼンできるからです。どの企業をいいと思っているかなんて完全なる個人の趣味だし、誰を傷つけるわけでもないし、ネタとしては丁度いいかなと思っているので、がんばってトライしてみようと思います。

 

7.練習編「意見」をもてるようになる4つのステップ

(1)要約

①レベルチェック(現状把握):問われた問題に賛成か反対かのポジションを取り、なぜそう思うか100字程度でまとめ、メモする。

②無理にでも意見を言い切る。

③自分で自分に突っ込む:意見への反論を書き出す、反論に反論する、反論の反論に反論する、最初とは反対のポジションをとって同じ作業をしてみる

言語化する

(2)感想

ここもレベルが高くて難しい箇所でした。特にステップ③。意見への反論までは思いついても、反論に反論、反論の反論に反論までいくと、かなり頭を使う作業が入ります。うう、くじけそう。

 

8.練習をやってみた

(1)問題(263頁より抜粋)

公的な年金制度は廃止すべきだ。自分の老後に必要なお金は、それぞれ自分で貯蓄すればよい。どうしてもお金が足りなくなった場合は、生活保護を申請すればよい。

(2)意見「反対」

公的な年金制度は廃止すべきでない。自分の老後に必要なお金は年金で用意すべきであり、各人の貯蓄にまかせられない。生活保護に一本化すべきではない。  

(3)反論(=賛成)

①老後のお金の準備については個人の自由を尊重し、個人にまかせるべき。

②年金制度と生活保護の二つの制度を用意するとシステムの構築や人件費などのコストが2倍かかりお金と手間が無駄

少子高齢化が進む社会でこのまま年金制度を維持すると、世代間の不平等が進むばかりである

(4)反論に反論(=反対)

①個人にまかせてしまうと、マネーリテラシーの差が貧富の差につながってしまう。

②年金制度と生活保護については既存のシステムがそれぞれ構築され、人員も割り振られている。今から生活保護に一本化したら、却って変更にコストや手間がかかる。

生活保護に一本化すると、生活に困窮した多くの高齢者が生活保護になだれこむだけであり、減りゆく労働人口が増えゆく高齢者の生活を支えるという構図に変わりはない。

(5)反論の反論に反論(=賛成)

①マネーリテラシーに関し、学校や職場で教育を必須のものとすれば、貧富の格差につながるほどの差は生まれない。

②変更にかかるコストはわずか。それよりも現状を維持し、年金と生活保護の二つのシステムにコストと人件費をかけるほうが高くつく(→このへんはたぶん金額的なシミュレーションをすれば解決するような問題に感じる)。

③「生活保護」の烙印を押されたくないため、受給をためらう高齢者は多くいるはずなので、生活保護に一本化したほうが高齢者の面倒を見る費用がトータルでは安く済むはず。

 

9.まとめ

以上のとおり、「自分の意見で生きていこう」の書評はかなりの長文となりました。鬼軍曹にピシピシ愛のムチを振るわれながら、フルマラソンを走りぬいたような疲労感に包まれています。もうだめ、へとへとー。

ちきりんさんは、紙の本の著作はこれが最後となると宣言されていますが、本当に悲しい。紙の本の装丁やイラスト、帯がポップで人目を惹くデザインでとても素敵だから買い集めてずっと手元に置いていたのに。これからの本のデザインもとても楽しみにしていたのに。文章はここまで長くなくてよいので、何か別の形でまた紙の本の世界に戻ってきて頂きたいです。意見の撤回はいつでもwelcomeです!

 

では、また。