ポンペイ展の紹介と感想
こんにちは、にこいちです。
上野の東京国立博物館で開催されている「ポンペイ展」に行ってきました。展示物を写真で紹介しながら(展示物の写真撮影は原則自由)、感想を書きたいと思います。
1.ポンペイの遺跡って何?
ポンペイは、イタリア中部にあった都市です。葡萄栽培が盛んで、裕福な市民も多く住んでいました。奴隷はいましたが身分は流動的で、親が奴隷でも子供ががんばって富裕層になった例もあったそうです。
79年にベスビオ山が噴火し、噴火後に発生した火砕流に街は飲み込まれ、市民ごと埋没しました。
2.展示物の紹介(5部構成)
「第1章 ポンペイの街:公共施設と宗教」では、公共施設にまつわる作品、特に、ポンペイで信仰されたアポロ、ウェヌス、イシスといった神々に関する出土品(彫刻など)が紹介されていました。
「第2章 ポンペイの社会と人びとの活躍」では、裕福な市民たちの暮らしぶりが分かる出土品(壺や装飾品など)が展示されていました。
女性はどのような仕事をして裕福になったかというと、不動産業(貸部屋など)をしていたようです。
「第3章 人びとの生活:食と仕事」では、台所用品や食器類、黒焦げになった食材が展示されていました。また、医療用具、画材、農具、工具など、ポンペイの住民が使っていた仕事道具を紹介されていました。
「第4章 ポンペイ繁栄の歴史」では、3軒の邸宅「ファウヌスの家」「竪琴奏者の家」「悲劇詩人の家」をとりあげ、会場内に邸宅の一部が再現されていました。
第5章 発掘の今むかし」では、18世紀から現在に至る発掘の歴史が紹介されていました。
3.感想
(1)いくらお金があっても自然の災害には勝てない
数々の出土品から明らかなように、ポンペイ市民の中には途方もないお金持ちもいました。しかし、いくらお金があっても火山の噴火という自然の災害には勝てません。自然災害の前では皆平等であるという残酷な人生の一面を見たような気がします。
(2)お金持ちの「栄光よ永遠なれ」という願いが期せずしてかなってしまった悲劇性
成功している人は誰でも「自分(や子孫)の栄光よ永遠なれ」と願ったことがあると思いますが、ポンペイは街ごと火砕流に埋没することにより、当時のお金持ちの栄華が半永久的に保存されることになったのは皮肉であり、悲劇であるように感じます。
(3)優れた美術品は時を経ても残り続ける
優れた彫刻、絵画(タイル画、壁画)は、製作をした芸術家やモデルの名前は残らなくても、作品は永遠に残り続けます。また、当時の生活(服飾品など)を後世に伝えてくれます。美というのは、経年劣化に勝つ唯一の手段なのかもしれません。
(4)ヨーロッパの美男・美人の尺度は数千年を経ても変わらない
特に彫刻を見て思いましたけど、美男は筋肉ムキムキ、美女はすらりとしてほどよくグラマーな身体。顔も、今でも通じるハンサム、美女が揃っています。日本だと、昔はうりざね顔の細目が美人だったりしますが、ヨーロッパだと時を経ても美男・美女の尺度はあまり変わらないのだなあと思いました。
(5)すべての展示品に4か国語の説明がついていたことに対する驚き
すべての展示物には、日本語、英語、中国語(簡体字)、ハングルで、名称が書かれていました。また、(すべてではありませんが)主要な説明や展示物については、説明文もこの4か国語で書かれていました。母語が日本語でないお友達がいても、一緒に楽しめる展示になっています。
(6)採掘・復元の果てしない努力、遠く離れた日本で開催されたことに対する感謝
モザイク画にはひび割れの跡があったりして、割れてバラバラになった破片を組み合わせ、つなぎ合わせて、1枚の絵画に復元するまでの発掘・復元に対する並々ならぬ努力を感じました。展示物を貸してくださったナポリ国立考古学博物館、主催者、協賛者、後援者の皆さんのチームワークがなければ、これだけの展示物を運搬し、展示できなかったように思います。コロナ禍で海外旅行に行けない日が続いていますが、ポンペイ展の開催により、日本語で、ポンペイの主要な展示物の解説を読みながら、鑑賞できて本当によかったと思います。関係者の皆様、ありがとうございました。
4.ポンペイ展は2022年4月3日まで開催しています。ご興味のある方は是非いらしっしゃるとよいと思います。
それでは、また。
書評「自分の意見で生きていこう」
こんにちは、にこいちです。今日は、1月11日に発行されたちきりんさんの著作「自分の意見で生きていこう」の書評を書きます。
ここまで書評を書くのが遅れたのは、正直に言えば、この本が私には非常に難しく感じたからです。ちきりんさんの言葉自体は平易な日本語で書かれているのですが、読者に対する要求水準が非常に高く、読み進むうちにぐさぐさナイフで刺されているような痛みを覚えます。なので、正解のない問題に対し、苦しみながらも自分にとっての答えを探し続ける意欲のある人でないと、読んでいてつらい本だなと思いました。
1.意見とはなにか、なぜ必要なのか。
(1)要約
ちきりんさんによれば、世の中のあらゆる問題は、「正解のある問題」と「正解のない問題」に分類されます。「正解のある問題」は調べれば正解の出る問題、「正解のない問題」は調べても正解が出ない、すなわち人がそれぞれ嗜好により選択すべき問題で正解がないものをいいます。「正解のある問題」は例えば手術の成功可能性、「正解のない問題」は例えば実際に手術を受けるべきかです。
「正解のある問題」には「正解」(=事実)か「誤答」(=事実に反する)があり、これは調査すれば分かるものとされています。しかし、「正解のない問題」に対しては、さまざまな「意見」があるだけで、「正解」も「誤答」もありません。カリスマや世間の常識も「正解」とは限りません。
また、重要な問題や人生には正解がありません。それは「どんな人生がもっともよい人生なのか?」という問いに正解がないから、とちきりんさんは説きます。もし「どんな人生がもっともよい人生なのか?」という問いに答えがあって学校教育等で教えられるものであれば、ダイバーシティ(多様性)に乏しくなり、社会の持続的発展にマイナスの影響を与える、と考えているそうです。
(2)感想
私は、この最初の章からつまずきました。最近読んだ別の本には「何をもって幸せとするかは人それぞれで、定義するのは難しい。とはいえ、誰にとっても共通の要素はある。それは、『思い通りの人生を送れること』だ。好きなときに、好きな人と、好きなだけ、好きなことができる。それは、何物にも代えがたい価値がある。そして、これこそが、お金から得られる最高の配当なのだ。」(モーガン・ハウセル箸「サイコロジー・オブ・マネー」126頁)とあって、私のモヤモヤ考えていたことをまさにまとめてくれたのが、この言葉だったからです。「どんな人生がもっともよい人生なのか?」に対する「正解」ってあるじゃないか、と思いました。
だけど、つらつら考えてみると、「思い通りの人生」は人それぞれであって、そこには「正解」はないのではないか、ということに思い至りました。例えば、学校的には、”見目麗しく生まれ、一流の学校を入学・卒業して、一流の会社に入って希望どおりの仕事をして出世して、経済的にも不自由なく、恋人・結婚相手や子供に恵まれ、友人や親せきにも恵まれ・・・”というのが「正解」となっている感じはします。だけど、皆が皆そういう生活はできないし、希望しているとも限らない。例えば「自由」を何より愛する人であれば結婚しないし子供もいらない、という選択になりそうです。
だとすると、ちきりんさんの言っていることと「サイコロジー・オブ・マネー」の言っていることは矛盾することではなく、むしろ相互補完関係にあるのかなあ、という感想に落ち着きました。人が「思い通りの人生」を歩み幸福になるためには、個々人が正解のない問題(選択肢)に対して決断し、自分なりの「意見」を持つことが必要だという結論になると思います。
2.「反応」だけではダメな理由
(1)要約
ちきりんさんは、「反応」(独り言)は「意見」とは異なると説きます。
「意見」とは発言者の立ち位置(ポジション)を明確にするものでなければなりません。他者の意見の否定や質問は「反応」であり「意見」ではありません。
「議論」はお互いの「意見」をぶつけ合うことなので、「反応はするけど自分の意見はない人」は「議論する価値のない人」として扱われてしまいます。
SNSの発達により「反応」する人は増えているけど、「意見」をいう人は増えておらず、インフルエンサーになるのも意見を言える人だけ。
意見を言えるようになるためには、①面倒臭さや「間違っているかもしれない」という不安、②反論されることへの不安、③リスクをとりたくない気持ちを克服する必要があります。
自分の意見が本当に自分の頭で考えた意見かどうか(=偉い人に左右されていないか)が重要であり、それを確認するためには偉い人が意見を翻した場合にも不安にならないかを確認する必要があり、もし不安になるのなら、不安にならないレベルまで考えつくす必要があります。
(2)感想
ここも、私にとっては痛みを伴う指摘でした。「反応」は頭を使わなくていいので楽だし、「意見」を言って反論されたら対応が正直面倒臭い、という気持ちがあります。「意見」を言っても、文句をつけられたり、「理窟っぽい」と言われて無視されたりってこともあったし。
でも、ちきりんさんの言わんとすることは分かる気がします。自分の「意見」のない人と話をしても、話に発展性がなくて、つまらなくて、時間の無駄のように感じますから。自分に「意見」がなければ、先方に同じように思われてもしかたがないのでしょう。
色々な不安や面倒臭さを乗り越えて、「反応」ではなく「意見」を言うようにしたいな、と思いました。
3.SNS時代に「自分」を創る
(1)要約
SNSで知らない人たちから「承認」されるためには、積極的かつ意識的に、自分の内面情報(その人がどんな人なのか、よくわかる情報)を提供する必要があります。
また、ネット上の人格がリアル社会における人格と同じくらい重要になりつつあり、就職や転職をする際の判断材料になることも増えてきました。人事分野で人工知能(AI)が活用されることも増えてきました。これからの時代、ネット上で自分の考えを発信しない人の思考記録はゼロと判定され、学歴がないのと同じ位不利になるとちきりんさんは予想しています。
かといって発信を極度に怖がる必要はなく、ネット上の発信はリアル社会でのふるまいと同じと考えて、年相応のマナーを守れば自分のありのままを表現すればいいのではないか、と提言されています。また、発信のホームベースをひとつに決めてまとめたほうが有利とか、自分に合った表現方法(言葉でなくてもOK)で途中経過も含めてどんどん発信するとよい、というコツもまとめられています。
(2)感想
ここは、比較的気楽に読み進めることができました。これからも、犯罪や法律違反、その他のマナー違反にならないように気を付けつつ、気軽に自分なりの発信を続けていきたいと思います。
ちなみに、私は、最近、ツイッターでもブログでも書評を書くことが多くなっています。自分がどういう分野に関心を持っているか、どの本にどのような感想を持っているかを発信することにより、自分の人となりを知ってもらえるかな、と思っているからです。
ツイッターで紹介するときは、広く浅く気軽に宣伝したいときに使っています。町の本屋さんになった気分でやっています。ブログはもっと思い切り思い入れがあり、親族や友人に配るレベルで気に入っている愛読書に限って紹介しています。
4.生きづらさから脱却しよう
(1)要約
生きづらさ問題の背景にあるのは「学校的価値観」(例えば、「友達の多い明るい子」が正解など)や同調圧力。ワンパターンな生き方を全員に目指させると、様々な人が生きづらくなったり、卓越した才能を潰してしまうリスクがあります。
世の中には「答え合わせが必要な人」と「答え合わせなど必要としない人」がいます。「答え合わせが必要な人」がいつまでも他人の反応を気にすると、自己肯定感が持てず、また、「強い他者」に依存するリスクがあります。そうならないためには、自分が好きな生き方や分野を選びそれを選んだ理由について考えつくすこと、自分で自分を理解し肯定することが必要です。
そのためには、自分の意見を日記やメモなどにまとめて束にして分析し、他人に開示することが役に立ちます。
(2)感想
この章は、うなづきながら読みました。
私も、特に小学生のころは学校に馴染めず、劣等感が強かったです。学校の教師や親が望む「勉強のできるよい子」にはなれず、「いいお嫁さん」になるための女の子らしいことにもあまり興味が持てず、ぼーっと考えごとをしてはボソっと理窟っぽいことを言って、同級生にいじめられたりしてました。かなり世間知らずで、小学校4、5年生まで高校と大学の違いを知らなかったし、「TODAI」とは「灯台」のことだと思っていました。灯台守って社会的地位が高い割に楽な仕事なのかなとか思ってたので、そういう名前の学校があると知ったときには非常に驚きました・笑。
小学校3、4年生のころ、学校的価値観にずっと違和感を抱えたまま「自分なんか世の中にいないほうがいいのかしらん」とか2年ほどつらつらと考えていましたが、あらゆる方面からためつすがめつ考えてみても、自分がそう感じるということは自分はそういう人間(=学校的価値観が合わない人間)で、それを受け入れて生きるほかしょうがない、人様を傷つけるわけではないし自分としてはどうしようもないからこのまま生きる、という開き直りの境地に至りました。また、そのころ、弱い自分を助けに来てくれる「白馬の王子様」とか「ヒーロー」を心から望んで天に向かって祈ったりしてもみましたが、そういう人は全く現れなかったため、自分で自分を救う「ヒーロー」になることに決めたのもよく覚えています。
その頃にあこがれた職業は「魔法使い」や「魔女」。弱い自分でも呪文を唱えたり、薬草を煮たりすることで、人を救ってお金を稼げると思ったから。
大人になって職業を決めるときも、「魔法使い」や「魔女」に近い、言葉で人を助けられる仕事を選びました。
そういう意味では、小学生のとき悩んで考え抜いたことは、将来の自分を形作る上で非常に役に立っています。
5.リーダーシップの最初の一歩
(1)要約
本当の仲間ないし家族と認められるためには、ともに考え、議論して方針を決め、ともに進むことが必要。リーダーシップをとらない単なるフォロワーは本当の仲間と認めてもらえません。リーダーシップの第一歩は自分の意見を持つこと。日本の「専門外のことには意見をいうべきではない」という風潮だと問題がいつまでも解決されません。意見をいう人は失敗しても学びがあって成長し、必ず評価されるので、めげずに意見を発信し続けることが重要です。
(2)感想
ここも耳が痛かった。自分の興味がない分野はついつい「お前にまかせる。好きに決めていいよ」と言っちゃいがちだし、自分の意見で相手が迷惑するといけないなと思うと意見を言えなくなったりします。が、今後は勇気を出して、自分なりの意見を言ってみようと思います。
6.オリジナルの人生へ
(1)要約
人生で重要な選択を迫られたときにどう決断するか、習ったことがある人はいません。特に、日本は組織のトップだけが意見を持てばよく、その他大勢はそれに従ったほうがよいという価値観で運営されてきました。
しかし、バブル経済がはじけて以降、日本ではイノベーションの重要性が強調されるようになりました。イノベーションに必要なのは、「あいつはバカだ、そんなの無理」と言われても自分の意見を貫けるような強い意見をもつ人です。また、グローバル化が進む中、明示的に意見を表明しなければ相互理解は進みません。加えて、男性中心の年功序列社会からフラットな社会になったり、低成長で様々な人が困難に直面したり、選択肢が豊かな社会では、自分で意見を持つことの重要性が高まっています。加えて、AIが発達した社会では、調べればわかることよりも自分で考えつくした意見を持つことこそが人間の価値となります。
リアルな議論の場を自分の周りに作りだしましょう。誰かが主催している勉強会を探したり、講演会を聴きに行くことに加え、自分から意見を発信して、家族や同僚、同級生など身近なところから議論ができる仲間を拡げていきましょう。
(2)感想
私はこの結論の章を読んで、自分の意見をもっと表明してみたくなり、2月中旬に新たに開始される個別株の勉強会に参加を決めました。「自分はAという株に投資したいと考えている、その理由は~」という意見と理由(調査の結果)を複数の人の前でプレゼンできるからです。どの企業をいいと思っているかなんて完全なる個人の趣味だし、誰を傷つけるわけでもないし、ネタとしては丁度いいかなと思っているので、がんばってトライしてみようと思います。
7.練習編「意見」をもてるようになる4つのステップ
(1)要約
①レベルチェック(現状把握):問われた問題に賛成か反対かのポジションを取り、なぜそう思うか100字程度でまとめ、メモする。
②無理にでも意見を言い切る。
③自分で自分に突っ込む:意見への反論を書き出す、反論に反論する、反論の反論に反論する、最初とは反対のポジションをとって同じ作業をしてみる
④言語化する
(2)感想
ここもレベルが高くて難しい箇所でした。特にステップ③。意見への反論までは思いついても、反論に反論、反論の反論に反論までいくと、かなり頭を使う作業が入ります。うう、くじけそう。
8.練習をやってみた
(1)問題(263頁より抜粋)
公的な年金制度は廃止すべきだ。自分の老後に必要なお金は、それぞれ自分で貯蓄すればよい。どうしてもお金が足りなくなった場合は、生活保護を申請すればよい。
(2)意見「反対」
公的な年金制度は廃止すべきでない。自分の老後に必要なお金は年金で用意すべきであり、各人の貯蓄にまかせられない。生活保護に一本化すべきではない。
(3)反論(=賛成)
①老後のお金の準備については個人の自由を尊重し、個人にまかせるべき。
②年金制度と生活保護の二つの制度を用意するとシステムの構築や人件費などのコストが2倍かかりお金と手間が無駄
③少子高齢化が進む社会でこのまま年金制度を維持すると、世代間の不平等が進むばかりである
(4)反論に反論(=反対)
①個人にまかせてしまうと、マネーリテラシーの差が貧富の差につながってしまう。
②年金制度と生活保護については既存のシステムがそれぞれ構築され、人員も割り振られている。今から生活保護に一本化したら、却って変更にコストや手間がかかる。
③生活保護に一本化すると、生活に困窮した多くの高齢者が生活保護になだれこむだけであり、減りゆく労働人口が増えゆく高齢者の生活を支えるという構図に変わりはない。
(5)反論の反論に反論(=賛成)
①マネーリテラシーに関し、学校や職場で教育を必須のものとすれば、貧富の格差につながるほどの差は生まれない。
②変更にかかるコストはわずか。それよりも現状を維持し、年金と生活保護の二つのシステムにコストと人件費をかけるほうが高くつく(→このへんはたぶん金額的なシミュレーションをすれば解決するような問題に感じる)。
③「生活保護」の烙印を押されたくないため、受給をためらう高齢者は多くいるはずなので、生活保護に一本化したほうが高齢者の面倒を見る費用がトータルでは安く済むはず。
9.まとめ
以上のとおり、「自分の意見で生きていこう」の書評はかなりの長文となりました。鬼軍曹にピシピシ愛のムチを振るわれながら、フルマラソンを走りぬいたような疲労感に包まれています。もうだめ、へとへとー。
ちきりんさんは、紙の本の著作はこれが最後となると宣言されていますが、本当に悲しい。紙の本の装丁やイラスト、帯がポップで人目を惹くデザインでとても素敵だから買い集めてずっと手元に置いていたのに。これからの本のデザインもとても楽しみにしていたのに。文章はここまで長くなくてよいので、何か別の形でまた紙の本の世界に戻ってきて頂きたいです。意見の撤回はいつでもwelcomeです!
では、また。
借金嫌いの私が唯一利用する借金は「貯金担保自動貸付け」
皆様こんにちは、にこいちです。今日は、私が唯一利用する借金について書いてみたいと思います。
1.借金嫌いの理由
その昔、私の実家は超貧乏でした。私が4歳のころに父親が仕事を辞めてしまい、7年間無職でお金がなかったのです。母が内職をしてわずかな現金収入を稼いでいましたが、焼け石に水。ほとんどの生活費は母方の祖父から出してもらっていました。
今でも目に焼き付いているのは、私が10歳のころ、子供達が寝静まった夜に、父と母がヒソヒソ声で
母「明日のお米がないんだけど、どうしよう?」
父「うーん・・・」
と会話を交わす姿。
折あしく、そのころ、テレビのニュースでは「サラ金問題」が取り上げられていました。夜逃げした一家の自宅マンションのドアにベタベタと貼られた「金返せ」「ドロボー!」「逃げるな」「死ね」等の張り紙は今でもはっきり覚えています。文字のいくつかは赤いマジックで殴り書きされていて、おどろおどろしく、子供だった私は大層おびえたものです。
「夜逃げってどうやってやるのかな?」「学校に行っている間に私だけ家に置いていかれて、他の皆が『夜逃げ』をしたら、私はどう生きていけばいいのだろう?」なーんてことをつらつらと考えている暗い小学生時代でした。
なので、借金は身震いするほど嫌い。どうしても子供のころの気持ちを思い出してしまいます。
2.それでも借金する理由
そんな私も、今までに数回、やむなく借金したことがあります。次のアルバイト代や給料が入るまでに大きな出費(例えばダブルスクールの費用など)があって、手元に現金がない場合でした。1回当たり3~5万円位です。
このとき使ったのが、ゆうちょ銀行の「貯金担保自動貸付け」です。
3.ゆうちょ銀行の「貯金担保自動貸付け」とは
(1)概要
ゆうちょ銀行で総合口座を作ると、通常貯金とセットで定額貯金や定期貯金を申し込むことができます。通帳の前のほうのページは通常貯金のページ、後ろのほうのページには、定額貯金や定期貯金が記入されることになります。
通常貯金の残高が足りない場合に、このセットで申し込む定額貯金や定期貯金を担保にして、不足分を自動的に貸し付けてくれる制度が「貯金担保自動貸付け」です。
例えば、通常貯金の残高が1万円、定額貯金が5万円あり、2万円を引き出したい場合には、通常貯金から1万円引かれ、残りの1万円は定額貯金を担保にしてお金が貸し付けられます。この場合、ATMからは2万円が払い出され、ここは普通の引き出しと何ら変わりがありません。しかし、通帳上の通常貯金の表記は「-10,000」になり、1万円の借入に対し利息を付けて返済しなければならないこととなります。
貸付の際の審査はありません。借金で得たお金の使い道は何でもOKです。特別なカードを作成する必要はなく、普通のキャッシュカードでのお金の出し入れでOKです。
(2)貸付金額の上限
貸付金額の上限は、預入金額の90%以内。すなわち、定額貯金が100万円あっても90万円までしか借り入れられません。
また、1冊の総合口座通帳につき300万円までです。300万円を借りたければ、333万3333円以上(定期も定額も1000円単位なので、実際には333万4000円以上)を預け入れる必要があります。
(3)貸付期間
貸付けの日から2年。
ただし、貸付けの日から2年以内に担保とする貯金が満期を迎える場合は、その満期までの期間となります。
また、元利金継続の担保定期貯金を担保とする場合は、貸付期間の範囲内で貸付けも継続されます。
(4)貸付金利
・定額貯金を担保とする場合:返済時の約定金利(%)+0.25%
・定期預金を担保とする場合:預入時の約定金利(%)+0.5%
※1年を365日とする日割計算
※担保となる定期・定額貯金が2口以上ある場合、どのような順番で担保となるか
①貸付期間が最も長いもの(1番新しく定額・定期貯金にしたものから順に遡って担保になる)
②貸付金の金利が最も低いもの(①貸付期間が同じ場合には、1番利率が低い定額・定期貯金から順に高い方に遡って担保になる)
③個別番号の大きいもの(①②が同じ場合)
例えば、
1 24-4-20 0.04% 50,000円 定額貯金
2 27-5-20 0.04% 100,000円 定額貯金
3 4-1-20 0.002% 100,000円 定額貯金
の複数の定額貯金がある場合に、15万円を借り入れるとどうなるか。
一番最近に預けられた3番が最初に担保になります(9万円分、貸付の利率は年率0.252%、1年当たり約227円、2年で454円)。
次に、2番が1番よりも先に預けられているため、次に担保になります(6万円分、貸付の利率は0.29%、1年当たり174円、2年で348円)。
(5)返済の方法
借り入れた金額と利子に相当する額を、通常貯金に預け入れることで自動的に返済ができます。特別な手続きはありませんし、特別なカードを作る必要もありません。また、貸付期間内であれば、返済回数や1回当たりの返済金額に制限はありません。
※担保となる定期・定額貯金が2口以上ある場合、どのような順番で返済されるか
①預り入れ期間が最も短いもの
②貸付金の金利が高いもの(①が同じ期間の場合)
③個別番号の小さいもの(①②が同じ場合)
例えば、
1 24-4-20 0.04% 50,000円 定額貯金
2 27-5-20 0.04% 100,000円 定額貯金
3 4-1-20 0.002% 100,000円 定額貯金
の複数の定額貯金がある場合に、4-1-20に15万円を借り入れ、1年後の5-1-20に10万円を返済すると、どうなるか。
2番が1番よりも先に預けられているため、先に返済されることになります。2番を担保にした借金は6万円分で1年分の利息は174円であるため、合計6万174円が返済されます。10万円から6万174円を差し引いた3万9826円が1番を担保とした借入金に充てられることになります。1番を担保とした借入金には227円の利息がついているため、3万9826円のうち227円は利息に充てられ、残りの3万9599円が元本の返済に充てられることになります(注:貯金担保自動貸付に対する特別な規定が見当たらないため、民法491条によれば、費用→利息→元本の順に充当されるはずです)。
(5)貸付期間内(最大で2年)に貸付金及び利子が払えない場合、どうなるか。
担保とされた定期・定額貯金が強制的に解約され、その払戻金が返済に充てられ、残額が総合口座の通常貯金に振り込まれることになります。
(6)将来、貯金担保自動貸付けを利用することを前提にした場合、お金を預けるには定額貯金と定期貯金とどちらがよいか。
定額貯金です。貸付金利は定額貯金のほうが断然安いからです。郵便局の職員にも確認しましたが、定額貯金一択を勧められました。(そのため、以後「定額貯金」のみについて言及します。)
3.まとめ
(1)どんな人が利用するとよいか?
・お金が手元にあると使ってしまう人
→現金でお財布に入れていたり、普通預金に預けていると使ってしまう人は、定額貯金にして、自由に下せないよう心理的ハードルを作りましょう。使いすぎると通帳に-(マイナス)ばかりが並ぶのは、悪い通信簿ばかり受け取っている学生のようで、意外とこたえるものです。-(マイナス)を消そうと思うと、仕事でもう少し稼いだり、節約しようという力が出るかもしれません。
・自営業や成果型報酬のサラリーマンで収入が安定していない人
→金融機関(銀行やサラ金)から借り入れする場合に、収入の安定していない人は嫌われます。貸してくれないか貸してくれるにしても低い金額を高い利率でしか貸してくれません。ですので、比較的よい収入を得たときにさっさとゆうちょ銀行で定額貯金を作っておき、借金をできる余地を設けておくとよいと思います。
・学生、アルバイトやパート、専業主婦など、収入が低い人
→そもそも収入が低いと、やはり金融機関から嫌われます。ゆうちょの定額貯金は1000円以上を単位としていますので、収入があったときにへそくりとしてちょこちょこ預けておくと、後で本当に困ったときに助かります。
→いったん貸付金業者に個人情報を渡すと、「新たな借入のご要望はありませんか?」などの営業電話、「期限までに返してください」などの督促電話や督促状等に悩まされることとなります。貯金担保自動貸付けにはそういうわずらわしさは一切ありません。
・保証人がいない人
→定額貯金が担保ですので、保証人は必要ありません。
(2)どんな場面で利用するとよいか?
最大でも借りられる期間が2年ですので、一時的な資金不足をカバーするのにいいと思います。生活費はもちろん、住宅ローンの不足分や教育費の不足分に回すことも可能です。また、金額と心にリミッターを設けながら、借入金を投資資金や事業資金に回すのはありかもしれません。返済できなかったとしても、定額貯金で預けてある金額以上は失わないので「信用二階建てで億単位の借金を負う」なんてことにはなりません。
(3)どんなことに注意すべきか?
郵便局のATMが開いている時間でないと、借入及び返済ができません。また、期限近くなっても督促はきませんので、返済スケジュールを自分で組み立てる必要があります。
以上、ゆうちょ銀行の「貯金担保自動貸付け」について書いてみました。
では、また!
旅行記(10)-まとめ
にこいちです。今回の旅行記のまとめをします。
1.計画の立て方
今回の旅行のきっかけは、旅行記(1)に書いたとおり、木下斉さんのVoicyを聴いたからでした。配信内容がとても気に入ったので、Wordにメモを残し、それを元にA4の紙数枚の旅程表を作成しました。いつ何時ころにどこに行ってその次にどこに行って、というスケジュールを箇条書きでまとめていました。この旅程表があったおかげで、今回の広範囲の移動をこなすことができましたし、ブログを書く際の参考にもなりました。
2.予算と実際の額
予算は、宿泊費を1日6500円、飲食費(3食分)は1日1万円位を目途としました。交通費、拝観料(入場料)、その他を合わせて25万円位かなと思っていました。
しかし実際は、大幅にオーバー。合計で29万3814円かかりました。
宿泊費 | ¥ 52,821 |
交通費 | ¥121,319 |
飲食費 | ¥ 93,240 |
拝観料 | ¥ 22,620 |
その他 | ¥ 3,814 |
合計 | ¥293,814 |
特に予想より金額が大きかったのは、交通費。行きの飛行機代、最初の3日間山口県を周るのに利用したレンタカー代、小倉から博多への新幹線代、博多から広島への新幹線代、広島から東京駅までの新幹線代がかかりました。結局、博多では時間がなくて屋台の食事位しかできなかったので、今回は外せばよかったかもとも思いましたが、コロナ禍がいつまで続くか分からなかったので、行けるときに行きたかったんですよね。もう少し時間がとれれば途中夜行バスにしたりして、もっと節約できたかと思います。
ホテル代はできるだけビジネスホテルやAirbnbを利用し、かなり節約しました。これはだいたい予算(6500円×8泊=5万2000円)のとおりでした。朝から晩まで外を歩き回り、ホテルではお風呂に入って寝るだけなので、私たち夫婦にはこれで十分です。ただ、セキュリティ的に女性1人だとキツいかな、というお宿もありました。1人旅だともっとかかると思います。
飲食費はかなり贅沢をさせてもらいました。朝ごはんはコンビニのパンとコーヒーで済ませましたが、昼や夜は、現地の名物料理など食べられるもの、試せるものはすべて試すことができました。非常に満足です。
拝観料もケチらず、当初の計画で行きたいと上げていたところはほぼ全部行きました。惜しむらくは、コロナ禍でいくつかの施設が閉まっており、行きたかったのに行けなかったことです。例えば、門司の出光美術館、マツダの工場見学、江田島の海軍兵学校は行けなくてとても残念でした。次回のチャンスを待とうと思います。
その他は、もみじ饅頭(おみやげ)やイチが途中で落とした手袋の代わりを買うための費用です。まあ、しょうがない費用かと思います。
3.今回旅行して思ったこと
萩は歴史的・文化的な施設や展示物が充実しており、近現代史好きが旅行するには大変優れた場所でした。奈良・京都・鎌倉当たりと比べてもコンテンツの質の高さは遜色ないと思います。しかし、高齢化が一番激しく、古い建築物の案内人がほとんど高齢の女性ばかりだったのが気にかかりました。若い世代の育成を急がないと、街が維持できないのではないかと思います。
仙崎は、良くも悪くも、金子みすず記念館の人気にかなりあやかっている感じでした。不遇の人生を送った女性の人気に地元の街があやかるのには、少々複雑な気持ちになります。先崎市がシングルマザーに優しい街になるとか、みすずさんに返せない恩を若い女性に返してほしいなあ、と思いました。
長門湯本は、今回行った中で一番風光明媚なところでした。ホテルの前に美しい川が流れているなど景観が素晴らしいのに加えて、再開発で若者向けに街が作り変えられている感じ。高級ホテルも揃っているし、若者やファミリーの憩いの場になるかもしれません。ただ、私たちが行った平日は高齢者が多くて閑散とした雰囲気だったのが気にかかりました。
下関は、今回行った中で、一番荒んだ印象を受けた街でした。駅前なのに、夜遅くまでショッピングセンターの無料のスタンド形式の椅子で所在無げに佇む高齢者がちらほら。家にいたくないか、いる場所がないかのどちらかだと思います。大丈夫かしら。
(2)福岡県(門司、小倉、博多)
門司は、駅舎を始め、古い建築物がきれいに整備されていて見どころの多い街でした。外国に行かなくても異国情緒が味わえたのがよかったです。しかし、食べ物があまり美味しいものがなかったり、市場も閉まっている店が多くて、残念。コロナ禍の影響かもしれません。
小倉は、駅前が賑やかで、商店街もかなり発達していました。松本清張記念館や小倉城があるなど見どころも揃っていました。小倉城近くには立派な図書館もあり、文化度の高さを感じました。市場には活気があり、鮨も大変おいしかったです。北九州に移住するなら、小倉はかなりいい場所ではないかと思います。
博多は、泊まった場所が悪かったんだと思いますが、お客のいない無料案内所ばかりで異様な雰囲気。今回は夫婦で行ったからしのげたけど、女性だけでは行きにくい場所のように感じました。屋台も数が少なくて活気が乏しく、先行きが心配になりました。
(3)広島県(広島、呉)
広島は、修学旅行生が多く、例えば原爆資料館では乗車率125%の電車に乗っている位の混み方でした。これだけ人が多いとコロナに感染するかも、とチラと感じました。夜の街・アーケード街は活気があり、男女共に人出が多かったです。東京や横浜の繁華街の雰囲気に一番近く感じたのは、広島でした。
呉は、ビジネス目的の泊り客が多いのか、観光目的のホテルがほとんどなくビジネスホテルばかりあるという珍しい場所でした。港近くに三菱重工の建物&看板があったり、造船所があったり、ディスコの大きな看板があったり、と様々な企業の城下町っぽい感じです。飲みにいく途中で呉市庁舎を見かけましたが、大層大きくて立派な建物でした。税収がしっかりあるためかもしれません。その一方で、小さい子供連れのご家族が大和ミュージアムに行ったり、夕呉クルーズに若い女性がたくさん乗車して熱心にスマホやタブレットで写真や動画を撮影するなど「海軍さん」に対する信頼・熱気の高さを感じました。こういうところに生まれ育った子供で、素直で優秀な人は、海上自衛隊にすーっと入っていくのかもしれませんね。
(4)まとめ
今回の旅のテーマは「日本の近現代史を学ぶ」。おかげさまで、歴史にまつわる色々な場所を見学できました。特に今回は、色々な職業の人の給料明細表を見ることができたり、二次大戦のころの漫画を見ることができたのが、記憶に残りました。日常生活に関係する意外な資料が、当時の生活を後世に伝えることに感動を覚えます。こういう貴重な資料の寄贈者の皆様や当時の漫画家さんに心から感謝の意を伝えたいです。素晴らしい資料を残して頂き、ありがとうございます。
それでは、また!
旅行記(9)-呉→東京
こんにちは。にこいちです。旅行記(9)に行きます。
【9日目:呉→東京】
朝、ホテルの部屋で軽い朝食を食べてから、午前9時過ぎにチェックアウト。ホテルに荷物を預けて、出発です。
この日、当初は大和ミュージアムの向かいの海上自衛隊呉資料館(てつのくじら館)に行こうと思っていました。しかし、呉の駅の改札口前にある観光ちらしコーナーで気になるちらしを発見!「路線バスに乗って呉観光ボランティアと行く旧海軍の日本遺産巡り」(毎週土日祝日開催、参加料無料(但し呉市内1日乗車券と施設入場料は有料))。予約不要。https://www.city.kure.lg.jp/uploaded/attachment/59450.pdf
てつのくじら館の前まで行きましたが、開くのは午前10時からで見学時間1時間30分、4回の入れ替え制。もう少し呉を色々見学したい気がします。さんざん悩んだ末に、てつのくじら館を諦め、旧海軍の日本遺産巡りのほうに行くことにしました。
てつのくじら館や大和ミュージアムと呉駅を結ぶ歩道橋の途中に「くれ観光情報プラザ」があります。呉市内1日バス乗車券はこのくれ観光情報プラザで購入できるということだったので、まずはそこに向かいました。
「くれ観光情報プラザ」で1日バス乗車券を購入し、しばし掲示物を眺めます。アニメ映画「この世界の片隅に」に登場する場所を掲載している地図(原作者の漫画家こうの史代先生のイラストによるもの)や、日曜劇場(TBSドラマ)「この世界の片隅に」の主人公すずさんを演じた松本穂香さんや夫の周作さんを演じた松坂桃李さんの写真などが展示してあって、嬉しかったです。もともと広島に行くときには呉にも行きたいなあと思ったのは「この世界の片隅に」の影響です。すずさんがよく眺めていた風景を実際に見てみたいと思ったのがきっかけでした。
プラザに参加者が集まったところで出発。ボランティアさん3名(男性1名、女性2名)と参加者3名(軍事マニアっぽい男性1人、イチ、私)。まず、ちらしに集合場所として掲載されている呉駅前のスクリューモニュメントで他の参加者さんがいらっしゃるかどうかを待ちます。15分ほど待ったところで、他には参加者がいないことを確認し、バスツアーに出発です。
駅を背にして左側にある、昔そごうだったビル(今はどの会社も入っていない模様)の前のバス停からバスに乗りました。
10分ほど乗ったところで、眼鏡橋バス停に到着。ここで下ります。
ボランティアさんによると、↓の建物の左奥が将校さんたちの宿舎で右側が下士官の宿舎だったそうです。
サインは「私の根っこはずっと呉にあります。ありがとう!こうの史代 (日付不明)」と書いてあります。貴重なサイン、ずっと残したいですね。
この建物の右の道を行き、途中左に折れて坂を上ると、入船山記念館があります。
当時の料理の献立例が文字だけでなく、サンプル(たぶん蝋細工)で再現されてテーブルの上にセットしてあります。こういう展示は珍しいですね。
献立例は、ソモン(サーモン?)と西洋野菜のテリーヌ、アスぺラガース・スープ(アスパラガス・スープ?)、ボイルドフィッシュ(コールドフィッシュ)、シチュードチッキン 付合 香草(分かるような分からないような?)、ローストビーフ 付合 クレソン ホース・ラディッシュ、レモン・アイスクリーム、タピオカプリン 黒豆添え。案外冷たいお料理が多かったり、デザートは今とあまり変わらないメニューだったり。料理好きの人でミキサーがあるなら、自宅でも再現できそうな感じです。
次に、資料が展示されている建物に行きました。ここでも漫画が展示されています。
「艦内スナップ」「痛くても痛くない三等兵」「いたいか!!」「い・え いたくありません」 三等兵が上官に髪をバリカンで刈られて半分坊主になり泣いている様子の絵。こんな暴力が日常茶飯事だったのでしょうね。艦内の様子が、暴力も含めて、こうして後世に伝えられることはとても大切だと感じます。
「水泳部員の夢」「落ちる瞬前です」ハンモックに寝そべった水兵さん。船のてっぺんから水着で飛び降りる夢を見ています。昭和13年だとまだ戦況がそこまで厳しくなかったのかしら。のんびりモードの漫画です。
「三等はめしの時だけうらやまれ」 何で階級が下の人のほうがご飯の盛りがよかったのでしょうか。羨ましそうによだれを垂らしてみている上官の顔がユーモラスです。目の剥き方などがよく特徴を捉えていて、きっとこんな風に表情を顔に出している人が実際にいたんだろうなあと思います。食べ物の恨みはこわいですね。
入船山公園バス停を出て、子規句碑前バス停で下車し、歴史の見える丘に向かいました。その後、バスに乗って潜水隊前バス停で下車。
倉庫の1つはリノベーションされて、カフェ兼土産物店「澎湃館(ほうはいかん)」になっていました。もう少しゆっくり見たかったのですが、ここで時間切れ。ボランティアさんや他の参加者さんに別れを告げて、バスで呉駅に戻りました。
呉駅に戻ると、広島駅に引き続きまたもや「ディスコ」の大きな看板が。呉は海軍の招致に成功した後、戦後は三菱重工や日本製鉄などの重工業の工場を誘致することで栄えてきた都市ですが、2023年9月末をめどに日本製鉄の工場が閉鎖されることが決まっています。今度は「ディスコ」などの半導体関連産業が工場を拓くかもしれないし、別の企業が誘致されるのかもしれない、と思うと俄然興味が湧きますね。
ボランティアさん等との会話から、彼らがいかに呉を愛しているか、海軍さんや誘致した企業を誇りに思っているかをひしひしと感じました。全体的にキリっと締まって整然とした雰囲気に包まれた人と街でした。ここに工場を作りたいと思う社長さんの気持ちが分かる気がします。
呉に別れを告げて広島駅に戻り、新幹線に乗って東京に戻りました。昼ご飯を食べそこなったので、広島駅で駅弁を購入。食べ終わったあとは眠気に襲われスヤスヤ。
自宅まで無事に帰り着きました。
自宅に荷物を置いたあと、ジャズの生演奏を聴きにライブハウスに行き、出演メンバーの若いお兄さんを連れ出して焼きとん屋で一杯飲んで、この日を終えました。
あー、遊んだ!久しぶりの長い旅でした。コロナの第6派が来てしまい、全国でも感染者が1万人を超えたので、当分こういう長旅は無理でしょう。12月初旬に思い切って旅行に出て、本当によかったです。
では、また!
旅行記(8)-広島→呉:戦艦大和ミュージアム&夕呉クルーズ
こんにちは。にこいちです。旅行記(8)を続けます。
【8日目:広島→呉】
朝、ホテルをチェックアウトして、広島電鉄に乗り広島駅へ。大きな「ディスコ」(証券コード6146)の看板を見ながら、呉線で呉駅に向かいます。ライナーに乗ればよかったのですが、待つのが面倒臭くて、鈍行に乗りました。外の景色を見ながらのんびり乗り鉄を楽しみました。
昼ころに呉駅に到着し、ホテルに荷物を置かせてもらい、出発。フェリー乗り場兼待合所に向かい、夕呉クルーズのチケットを購入しました。
その後、大和ミュージアムへ。呉の歴史、戦艦大和の歴史、戦闘機や特攻兵器の展示などを見学。地方の小さい漁村だった呉が軍事都市に指定されて以降、飛躍的に発展してきた様子を学んだり、戦艦大和の模型の大きさに驚いたり。
中でも心に残ったのは、特攻兵器「回天」(魚雷)の展示と「回天」に乗る直前の乗組員の声の録音。いかにも軍国少年っぽい(北朝鮮のアナウンサーのような)固い口調なのかな?と思いましたが、そうではなく、現代の若者と何ら変わりない柔らかい語り口。このような若者が100人以上「回天」での特攻で亡くなったそうです。しかも、“若い命を大切にすることをモットーとしていた海軍は何度も特攻を止めたのに、若者が特攻を強く主張してそれを止めることができなかった”というような説明があり、暗澹としました。誰がいつどういうことを主張・議論して、回天での特攻に至ったかの説明もなかったですし、若者がそういう主張をせざるをえない環境を作ったのは、明らかに大人の責任ではないのでしょうか。責任のがれっぽくて、私にはあまり納得がいかない説明でした。
戦艦大和の大きな模型は、男性の皆さんに大変人気でしたが、日本海軍最大の失敗(戦闘機&空母の時代なのに、技術の発展による戦術の変化を読み間違えて、戦闘機に狙われやすい大きな戦艦を作ってしまった)なのに、かっこいい存在として崇められている感覚というのが、自分にはよく分かんなかったです。むしろ、自分としては、この悲劇を繰り返さないためにはどうすればよかったか、という検証のほうが見たかったですね。
給料明細表の項目を書き出すと以下のとおり。
・収入:支給総額、諸加給、定期賞与、退職手当
・控除金額:共済掛金、保険掛金、購買所、貸付部、海士会、貯金、治療費、
倶楽部費、全物品代、同窓会費、住宅資金
・交付金額
収入-控除金額=交付金額 なのでしょう。
収入はもっと階層別(大将手当とか少将手当とか)に項目が分かれているのかと思っていましたがそうではありませんでした。控除金額の共済掛金と保険掛金はどう違うのかな?これはよく分かりません。怪我が絶えない職場でしょうに、治療費を差し引かれるのはつらいなあと思います。貸付部があるのは、前借りする人が多かったからなのかな。貯金という項目があるのも面白い。個人で銀行に預けるより職場で貯金する人が多かったのでしょうかね。
海軍水平生活漫画絵はがきが面白かった。水兵さんたちの生活がイキイキと描かれています。戦前から漫画は人気だったのですね。
「初めて着る水兵服 僕もいよいよ水平さんだ」「丁度いいであります」「今日から立派な海軍軍人だぞ」「一生懸命がんばるであります」
「あーあ 今朝の御飯はばかにうまかった」「うーえ もう腹いっぱいだ」「うーん 胸につかえ(へ)た」「あんまりあわててがつがつ食べるからだよ」
絵はがきは10枚以上あったと思いますが、いずれも力作でした。水兵さんのご家族はこういう絵はがきを入手して、ご家族がどういう生活をされているか、案じていらしたのでしょうね。是非、直接ご覧になることをお勧めします。
給料明細表の項目を書き出すと以下のとおり。
・支給額:総額、諸加給計、(内)家族手当、(同)定期賞与、(同)退職手当
・控除額:所得税、共済掛金、保険掛金、舎費、購買代金、貸付金、住宅資金、治療費
国民貯金、郵便貯金、団体保険、諸会費、家庭送金
・交付額
支給額-控除額=交付額、なのでしょう。
水兵さんの給料明細表にはなかった家族手当が入っています。この当時は女性が働くと家族手当が付いていたんですね。ちょっと不思議です。こちらにも、共済掛金、保険掛金、団体保険など、保険ぽい項目が一杯あります。どういう違いなのか、知りたいです。水兵さんの給料明細表にはなかった家庭送金などという項目もあります。この控除項目を全部引かれていたら、手取りが残らない気もします。
午後2時30分過ぎまで見学してお腹が空いたので、呉ハイカラ食堂に行きました。
カレーはあまり辛くなくてマイルドな味。冷麺はほぼ冷やし中華ですが、味はおいしかったです。
港へ戻って、夕呉クルーズに乗りました。海上自衛隊の護衛艦や潜水艦などの近くをクルーズし、夕陽も見られるというものです。所要時間約35分、大人1名1500円。
海上自衛隊退院のOBの方が軽妙な語り口で色々船の紹介をしてくださり、乗船したお客さんから笑い声が上がることもしばしば。一番の見どころは、潜水艦の上に乗組員の方が出てきて、敬礼をしたり、日没と同時にラッパを吹くところ。クルーズ船の乗客が手を振ると振り返してくださる乗組員の方もいらっしゃいました。この部分は全部動画で撮影したため、写真はありません。艦船に興味のある方は是非ご参加の上、自分の眼で楽しんでくださいませ。
クルーズ後にホテルでチェックインしてから、クルーズ船の海上自衛隊OBの方に勧められた居酒屋権三(ごんざ)に繰り出しました。人気店のため、30分位待って入店。ここも予約したほうが良さそうなお店です。入口も店の奥の方も、体格の良い若い男性が一杯。元気のよい声があふれています。未確認ですが、海上自衛隊隊員さんの行きつけのお店かもしれません。おかげで、刺し盛りや他の料理も盛りがよかったです。
8日目はこれで終わりです。
旅行記(7)-宮島・弥山
こんばんは。にこいちです。旅行記(7)を続けます。
【旅行記(7)-宮島・弥山】
朝、ホテルの部屋で朝食を食べてから、出発。広島電鉄で広島駅まで出て、山陽本線で宮島口駅まで出ます。そこからフェリーに乗り、宮島に渡りました。
フェリー乗り場を下りて参道に入ります。広島もかなり人出がありましたが、宮島もかなり人出がありました。家族連れ・子供連れが多かったかな。
嚴島神社についてがっくり。何と工事中で全体がすっぽり工事用資材で覆われています。うわー、知らなかった。
気を取り直して、厳島神社の後ろに立っている弥山登山に挑みました。とはいっても、傾斜に怖れをなして行きはロープウェイを利用w しかし、これは正解でした。乗ってみて初めて知りましたが、ロープウェイも2本を乗り継ぐほど登山道が急で長いのです。
12時位に山頂に着き、下るだけなら2時間もあれば余裕で下れるだろうと思っていましたが、大間違い。3時間強かかりました。お昼ご飯は持っていなかったので、ロープウェイの降り口の自販機で売っていたコアラのマーチが唯一のおやつw 買っておいて正解でした。
最後は脚がガクガクに震えるようになり、ヨロめきながら下山しました。思ったよりもすごくきつかった。高尾山のきついコースの2倍位に感じました。生きている間にもう1回来ることができるかな?次は、上り・下りともロープウェイになるかも・・・。
下山を終えて、あこがれのあなごめしにありつきました。が、味は期待ほどでは・・・。思ったよりもあっさりしたお味。東京で食べるあなごずしのほうがふわっと蒸し上がっていて脂がのっていておいしいと思います。
いったん宿に戻り、ここからイチとはいったん別行動。イチは、好きなジャズのライブコンサートを聴きにライブハウスに行きました。私は、ちきりんさんと木下斉さんのVoicyライブがあるというので、ビールとつまみを買ってホテルでのんびり。
思い思いに数時間を過ごし、イチがホテルに戻ってきてから、一緒に居酒屋「魚樽袋町支店」に出かけました。広島は日本酒がおいしくて、前日もこの日も色々飲みました。名前は何だか派手ですが「夜の帝王」がおいしかったな。辛口の「亀齢(キレイ)」も好みでした。
これで7日目はおしまい。今回の旅行で唯一、全身を使う体育会系な1日でした。
では、また!