旅行記(5)の追加-松本清張さんの言葉と評論

にこいちです。

 

松本清張記念館で、おおこれは!と思った清張さんのお言葉や評論があったので、自分のメモ帳に記録しました。その中でもよかったなと思うものを抜粋して紹介します。

 

最後のインタビューより

Q:その飽くなき好奇心の根源にあるものは何ですか?

A:「疑い」だね。・・・体制に対しても疑うし、学会的に偉い人が行ったことでも鵜呑みにせずに疑ってかかるが、もう少し加えて言うと、歴史にしても社会現象にしても、上から見ないで底辺から見上げること(週刊プレイボーイ平成4年4月7日号)

社会派・松本清張さんらしいお言葉です。歴史論でも独自の見解をお持ちだったようで、周囲の人、例えばご家族や編集者は大変だったんじゃないかな、と思わされる部分もありました。

 

「清張の見た中国の風景」より

松本清張は、若い頃から、新聞記者にも、小説家にも、歴史家にもなりたかった。(①)成長は好奇心旺盛で何にでも興味を持つ作家の眼と、いつでも「今、この場所」の事実を冷徹に切り取る〈ジャーナリスト(カメラ)〉の眼と、どこでも「現在と過去との対話(=歴史②)ができる〈歴史家の眼〉の、3つの眼を持って生まれたのであろう。そして生涯たゆまぬ努力によってその眼力を鍛えつづけ、さらに領域を超えて雄大な清張山脈を造り上げたのであった。(①藤井康栄「松本清張の残像」2002年12月20日、文藝春秋 ②E.H.カー「歴史とは何か」)

記念館2階には、原稿の推敲の過程も残されていて、例えば「古代探求」は6校まで推敲された記録が残っていました。クオリティを維持するのに大変厳しい方だった。これが「たゆまぬ努力」なんだろうな、と思いました。

なお、万年筆はモンブランを愛用されていたそう。文具への拘りも強かったのでしょうね。

 

松本清張記念館は、清張さんへの愛にあふれる素晴らしい記念館でした。

展示物についている説明文はいずれもきれいで的確な文章で、それ自体を署名入りの著作物として販売してもいいのではないかと思えるレベル。

これからも記念館として維持されてたくさんの人の眼にふれるといいなと思っています。特に、作家志望、ジャーナリスト志望、編集者志望の人には見てほしいな。