「悩み」の分類と対策

皆様、こんにちは。にこいちです。

 

今日は、人間一般の「悩み」の分類をしてみたいと思います。

 

このように考えるようになったきっかけは、2022年7月8日の安倍晋三元総理銃撃事件の被疑者が、家族の新興宗教入信・破産に長期間悩んでいたという記事を読んだからです。

 

元総理を射殺するほどの強い恨みを抱き続け、しかも実行してしまったことに強い衝撃を受けました。

 

また、被疑者の家族が新興宗教に入信したのは、配偶者の死亡や子供の病気などを悩んでいたことがきっかけと報道されています。早期にこの悩みを解決できていれば、新興宗教への入信はなかったのではないかと思いました。

 

他方で、歴史書や小説を読むと、住む国や文化が違っても「悩み」はかなりの程度で人間一般に共通しており、しかも古代・中世のころから同じようなことをぐるぐる「悩み」続けているのではないか?という気持ちもしています。

 

そこで、世の中にどのような悩みがあるかを分類・整理し、事前にその悩みに対する対応策を自分なりに考えておけば、一種のBCP(Business Contingency Plan、危機対応策)として使えるのではないかと考えました。以下、分類をしてみます。

 

Ⅰ 分類

1.経済

 ①貧困

 ②借金

2.人間関係

 ① コミュニケーション不全(家族、親族、友人、恋人、上司、部下、取引先、近隣)

 ②孤独

3.労働環境(過大な労働負荷)

 ① 家庭:家事、配偶者・子供・老人のケア

 ② 職場:上司、部下、取引先のケア。仕事の質・量。

4.健康

 ①病気(痛み、不快感、うつ、性的トラブル(望まない妊娠・出産を含む)、後遺症、心身の機能喪失

 ②将来の健康状態に対する不安 

 ③死への恐れ

5.被害・人権侵害

 ①犯罪被害、違法行為の被害(DV、いじめ、ハラスメントを含む)

 ②社会・政府による抑圧(同調圧力を含む)

6.自己実現不達成

 ①学業不振

 ②進路・就職先の不満

 ③リストラ、失業

 ④自己肯定感が低い(自分の能力、体形、容貌に対する不満を含む)

 ⑤承認欲求の不満足(モテない、優しくされない)

 ⑥やりたいことができない(理想との乖離)

7.快適でない環境

 ①天災(地震、台風、津波など)の被害

 ②気候(暑い、寒い、乾燥、湿気)

 ③公害(騒音、振動、大気汚染、水質汚染など)

8.その他

 ①自分自身の犯罪・違法行為発覚

 ②近しい人の不幸全般(死、病気、新興宗教入信、破産など)

 ③ペットの不幸全般(死、病気など)

 

Ⅱ 対策

1.事前の準備

(1)相談先を複数リストアップしておく。

 ・経済に関する相談:

  ハローワーク(就職先を探す)、役所(生活保護補助金)、
  弁護士(債務整理、破産)、税理士(税金)、
  ファイナンシャル・プランナー(ライフプランの作成、相談)

 ・健康に関する相談:

  医療機関(かかりつけ医(内科)、心療内科、総合病院)

 ・人間関係に関する相談:
  福祉保健局(自殺相談ダイヤル)、日本司法支援センター(法テラス)

  弁護士会司法書士会(紛争の金額が140万円以下)

  心療内科、労働基準監督局(労働問題)

 ・被害・人権侵害に関する相談:
  警察(刑事事件)、日本司法支援センター「法テラス」(全般)、
  弁護士会(全般)

 ・自己実現不達成に関する相談:福祉保健局(自殺相談ダイヤル)、心療内科

 ・快適でない環境に関する相談:日本司法支援センター「法テラス」(全般)、
  弁護士会(全般)

 ・その他の相談:福祉保健局(自殺相談ダイヤル)、心療内科

(2)自分の悩みと共通するテーマを扱った本を読む、ドキュメンタリーを見る

(3)身近な人(家族や友人)に相談する。

   話すことで問題点が整理されたり、親身になってもらえることもある。

   とはいえ、専門家ではないのでアドバイスは玉石混淆。

   相手に負担がかかりすぎないようにご注意ください。

(4)インターネットで似たような悩みを検索

 注:もっとも手軽だが、個人情報を吐き出させたり、詐欺的サイトや詐欺的宗教団体の標的にされて二次被害に合うこともある。要注意。

 

以上、「悩み」の分類と対策を整理してみました。

 

では、また。 

 

 

 

 

 

日商簿記3級&2級受験記

こんにちは。にこいちです。今日は、先日合格した日商簿記2級受験記、その前に受験した簿記3級の受験記を書きます。

 

1.受験の目的

 一言でいうと、個別株投資のため、財務諸表を読めるようになりたかったから。

 私は、2004年からインデックス投信の積み立て投資を続けています(2008~2010年は停止)。しかし、その前に二度、個別株投資をしたことがありました。1回は1992年に1年ほど、2回目は2015年から2017年にかけて2年半ほど。

 1回目はTHK。当時はベアリング製造・販売の会社でした。THKに投資をして成功した女性投資家の本を読んで「自分でもやってみたい!」と思い、買ってみたけど鳴かず飛ばず。結局15万円ほど損失を出して終わりました(涙)。15万円は3か月分のバイト代に相当。当時はアルバイト生活でお金もなく、大変つらかったです。

 2回目は健康コーポレーション(今のRIZAP社)。おからクッキーが有名で、優待でもらえるというので試してみたくて、2015年ころに株を買いました。そのうち、同社はM&Aを繰り返すようになりましたが、ジーンズメイトをM&Aしたのに納得がいかなくて持ち続けるのがイヤになり(M&Aによるシナジー効果がピンと来なかったのです)、2017年夏ころに売ってしまいました。いくばくかの利益は出たけど、その後株価はどんどん上がり買値の7倍くらいになりました。ですが、皆様ご存じのとおり、RIZAP社は2018年秋に会計不正が発覚して株価が急落し、その後は低迷が続いています。このとき「負ののれん」の不正計上が話題になりましたが、当時は全く意味が分かりませんでした。会計不正の手管も理解できないのに個別株投資をしてはダメだな、と思いました。

 とはいえ、個別株投資に興味を失ったわけではなく、経済評論家・山崎元さんの記事で、山崎さんはインデックス投資を勧めているけれども、退職したら趣味として個別株投資をやってみたいと思っている、と書かれたものを読んで、自分も趣味として個別株投資をするのはありかも、と思いました。

 2018年冬、有名個人投資家・大膨張さんの飲み会にたまたま参加することができ、「初心者向きにはこういう勉強会があるよ」と教えてもらった「四季報investors」という会社四季報の読書会に参加するようになりました。同会には「初心者基本勉強会」(今期から「四季報活用研究会」と名称を変更)という、主催者のdojimaさんが1年間をかけて丁寧に四季報の読み方を教えてくれるという講義方式の勉強会があります。そこで、dojimaさんから毎回のように「個別株投資をやるなら簿記を勉強するのがおすすめです。2級までは絶対に取るように」と言われました。

 最初は「自分は、会計にそんなに興味ないしー、経理で就職する気持ちもないしー、数字も苦手だしー」と思い、逃げ腰に。投資に関する指標(PER、PBR、ROEROA)や分析方法を勉強するためビジネス会計検定の試験(マークシートなのでわりと気安く受けられる)を受けたりしていたのですが、ビジネス会計検定2級のテキストと問題集があまりにも初心者に不親切で行き詰まり、途中で簿記3級の勉強に切り替えることにしました。

 

2 簿記3級の勉強方法

(1)まず、費用が安いことに惹かれて、TACの「独学道場」というテキストとDVDのセット教材(3級用、数千円)を買ってみました。講義は一通り聞いたけど、あまりに骨子だけすぎました。仕訳はいくぶんか解けるようになったけど、試算表や精算表の問題は全然解けるようになりませんでした。

(2)次に、費用が安いことに惹かれて(←懲りないw)、クレアールという通信制の学校で勉強してみました。紙のテキストを使い、授業はオンラインで受講しました。3級・2級合わせて4万円ほどだったと記憶しています。3級は全部、2級は一部だけ授業を聞いて問題も少し解いてみたのですが、まったく解けるようにならず、挫折しました。

 自分にクレアールが向かなかった理由は、①生の講義がなく試験までのスケジュール管理がうまくいかなかった、②試算表や精算表など表の穴埋めをする問題を、どこからどういう順番でどうやってうめていくか、分からなかった、③問題集の回答がていねいでなかった(回答の数字は書いてあるがどうしてそのような答えになるか、根拠や手順があまり書いてない、問題解説の動画はあるが数が多すぎて視聴しきれないし、必要な部分を検索できない)、④講師に直接会って質問をする機会がない、などでした。

 2019年11月にペーパー試験を受けましたが、58点で不合格でした。

(3)ウジウジ悩んでいた私に再度喝を入れてくれたのは、dojimaさんでした。「TACに中嶋浩之(なかじま ひろゆき)先生という素晴らしい先生がいる。中嶋先生の講義を受けることを勧めます。」

 残念ながら、私が受講しようとした2020年夏ころ、中嶋先生の担当は簿記2級の授業だけで3級の授業はお持ちではありませんでした。

(4)そこで、2020年夏に、週に2回、TACの苫米地静(とまべち しずか)先生の授業を受けました。費用は3万円弱(簿記3級合格本科生)。

 教科書は、よくわかる簿記シリーズの「合格テキスト」と「合格トレーニング」。

bookstore.tac-school.co.jp


 苫米地先生は頭が切れる方で、授業も歯切れよく、分かりやすくてよかったです。例えば、私の苦手な試算表や精算表の数字の埋め方を、黒板に書いた表をチョークで3~4色に色分けをするなどして、分かりやすく教えてくださいました。質問をしにいくと「ナゼコンナシツモンヲ?」みたいな厳しめのツッコミをいただくこともありましたが(笑)、それはレアケースで、大概はていねいに基本までさかのぼって教えてくださいました。
 苫米地先生はウェブフォロー(同一の範囲の講義をオンライン受講できる)の担当講師でもいらしたので、生講義で分からなかった部分をオンラインで聞き直せるのも助かりました。私は1回では理解できないところがあったので、全講義を生とオンラインとで1回ずつ受講しました。

(5)2020年11月のペーパー試験で合格(発表は12月1日)。点数は77点でした。トータルでの勉強時間は、講義で72時間(12回×約3時間×2回)、総まとめ講義及び答練(1回のみ)で18時間、予習復習で60時間、「合格するための本試験問題集」(過去問の改題)で100時間くらいでした。なのでTACで250時間位です。

(6)とはいえ、その前に独学道場やらクレアールやらをやっていたので、勉強時間は完全に300時間を超えてます。たぶん350時間位?よくわかりません。

(7)さらに言うと、実は25、6年前にも簿記3級の勉強にチャレンジして挫折した経験があるので、それを合わせると勉強時間はたぶん400時間を超えています。どれだけ自分が向いていない勉強をやると時間がかかるか、という見本です…。

 

3 簿記2級の勉強方法

(1)2021年1月から6月まで、TACの授業を受けました。週に2回、同日に午前は苫米地先生と高橋靖明(たかはし やすあき)先生、午後は中嶋浩之先生。TACは合格本科生の通学授業を選択すると、同じ範囲の生講義を同じ期間に2度まで受けることができるので、その制度を利用しました。ステップアップ割引というシステムがあって、費用は7万円弱(簿記2級合格本科生)でした。

(2)苫米地先生、高橋先生と中嶋先生は全くタイプが違いました。高橋先生はちょっと気だるげな「いまどきの若者」って感じ(笑)。もともとの頭が切れるタイプで、レジュメもすべてコンピュータで作成。「あとはこの仕訳を覚えてね♪」が口癖でした。楽しく・軽く受けられる授業だったので、もともと簿記の素養がある人には向いている授業だと思います。私は予習する代わりに受けていました。

(3)中嶋先生は、ち密な努力と入念な準備で授業に臨まれる懇切丁寧な方、さまざまな困難を根性で乗り越えて来られたタイプです。受講生が必要とするであろう情報をすべて詳細なレジュメと補助レジュメ(両方とも手書き)で提供してくださいます。補助レジュメには、試験までの勉強時間のスケジュールの作り方や実例、問題集の間違い箇所チェックリスト、本試験前にやるとよい商業簿記の仕訳集、工業簿記で直前に見直すとよい勘定連絡図を問題ケースごとに集めたものなどがありました。

(★本当はここで中嶋先生のレジュメの見本を貼り付けようと思ったのですが(中嶋先生の了解を取り付け済み)、パソコンでうまく画像がアップされないので、後日、再トライしてみます★)

 また、中嶋先生はミニテストをすべて回収し、採点の上で返却。その際、一口コメントとともに、かわいいトトロのハンコを押してくださいます。私はこのハンコを集めたくてミニテストを毎回提出していました。

 試験直前の答練では、試験当日にやることのシミュレーション(小説風)を配布してくださったり、採点後の感想(受講生がどこができなかったか)を配布してくださったりしました。受験生が予め落ちるであろう穴をすべて先生が先回りして塞いで回ってくださっている感じでした。

 授業やテキスト、問題集で分からないところがあったときに質問に行くと、いつもていねいに教えてくださいました。特に問題集は全部自分で解かれているようで、どの問題のここが分からない(←先生に下書き用紙を見せて相談するとよいです)と言うと、即座に「この問題はこういう図を描いて解くとよい」というようなことを黒板に見本の図を描いて教えてくださるのが助かりました。

 自分はもともとが数字に疎く(小学校では算数が苦手科目、中学で公文をやり少し持ち直したものの、高校では赤点とったり)、簿記には全く向いていないタイプだったので「弱者に優しい」中嶋先生のほうが合っていた感じです。

(4)2021年5月下旬にネット試験を受けましたがあえなく撃沈(49点)、6月のペーパー試験も61点で不合格。

(5)その後、オリンピック・パラリンピックのボランティアをしたり、読書にふけったり、旅行に行ったりと遊んでしまい、2021年11月の試験はほぼノー勉強で受験し、当然撃沈(点数不明)。2022年2月に入ってからようやくスイッチが入って勉強をするようになりました。2月27日のペーパー試験では手ごたえはよかったものの66点で不合格(3月18日発表)。4月に入ってから勉強を再開し、5月9日にネット試験を受けて68点で不合格。5月16日にようやくネット試験を75点で合格しました。トータルで6回受験し、5回不合格、1回合格です。

(6)勉強時間は、講義が168時間(84時間×2人の講師)、総まとめ講義や答練で24時間、これらの復習が200時間位。「合格するための本試験問題集」(過去問の改題)は200時間位(5回転半)。トータルで600時間位です。

(7)2022年2月に入ってからは、今年の前半で受かりたいと強く思うようになり、勉強に専念するためシェアオフィスを借りました。シェアオフィスには、司法試験・司法書士公認会計士・税理士・簿記など様々な勉強をする受験生がいらしたり、行政書士公認会計士として働く方もいらしたりして、刺激を受けます。費用は月額約1万4300円+ロッカー代2200円、合計1万6500円です。1月に20回通うとして1日当たり825円。コーヒーやお茶は飲み放題で、印刷・コピー代も無料でついているところを選んだので、解答用紙をコピーして使うのに役立ちました。ついたてもあり、落ち着いて勉強できます。
 週末だけだともっと安く借りれるプランがあり、4000~5000円位。
 スタバなどの喫茶店で勉強したり、直前にホテルで缶詰めになるよりも、こういうシェアオフィスのほうが、集中して勉強したい方にはおすすめです。場所は諸般の事情から公表しませんが、お住まいやお勤め先の通いやすい場所の名前と「シェアオフィス」「コワーキングスペース」「無料プリンター」などでググってみてください。
  なお、TACの合格本科生だと無料で勉強できる自習室があります(受講票の提示を求められます)。ロッカーは月額2200円くらいだったかと(たしか受講生限定です)。公認会計士や税理士、公務員、簿記の受験生などが真剣に勉強していて、めっちゃシーンとしていて、咳払いやくしゃみもはばかられ、ちょっと怖い(笑)。格安なので学生さんなどの若い方にはお勧めですが、長机でついたてがないのであまり集中できず、自分には合わないと判断し、たまにしか使いませんでした。

 

4 試験問題非公表対策

 2021年6月のペーパー試験から、2級と3級の過去問題が公表されなくなりました。また、2020年12月から始まった簿記2級と3級のネット試験でも問題は公表されていません。

 そのため、私は受ける度に手控えとして、受験日時、場所、問題を解いた順番やかけた時間、各問題の点数や仕訳などをメモで残すようにしていました。試験から帰る電車の中で思い出せる限りの内容をメモ帳に書きなぐりました。

 この手控えは、何回か試験を受験する中で、自分の弱点探しや試験の傾向をつかむのに役立ちましたので、一般的な受験対策としてお勧めします。

 (注)なお、試験の内容をSNS等で公表することは禁じられていますので、私がこのメモを公開することはありません。

 

5 まとめ

 以上、備忘を兼ねて書きました。長文、失礼しました。

 ちなみにTACの通学講座の費用は、2年ほど前に皆に配られた特別給付金10万円を使いました。

 最後に、すべての簿記試験の受験生にエールを送ります。
 Never Giveup! Challenge, Challenge and Challenge! 

 (あきらめずにチャレンジすれば、道は開けます!)

 

 

 

 

 

 

ポンペイ展の紹介と感想

こんにちは、にこいちです。

 

上野の東京国立博物館で開催されている「ポンペイ展」に行ってきました。展示物を写真で紹介しながら(展示物の写真撮影は原則自由)、感想を書きたいと思います。

 

1.ポンペイの遺跡って何?

ポンペイは、イタリア中部にあった都市です。葡萄栽培が盛んで、裕福な市民も多く住んでいました。奴隷はいましたが身分は流動的で、親が奴隷でも子供ががんばって富裕層になった例もあったそうです。

79年にベスビオ山が噴火し、噴火後に発生した火砕流に街は飲み込まれ、市民ごと埋没しました。

 

2.展示物の紹介(5部構成)

「第1章 ポンペイの街:公共施設と宗教」では、公共施設にまつわる作品、特に、ポンペイで信仰されたアポロ、ウェヌス、イシスといった神々に関する出土品(彫刻など)が紹介されていました。

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噴火前のベスビオ山が描かれた絵画

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エジプト由来の楽器「シストルム」 横に振ってガシャガシャという音を出す

第2章 ポンペイの社会と人びとの活躍」では、裕福な市民たちの暮らしぶりが分かる出土品(壺や装飾品など)が展示されていました。

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エウマキア像(毛織物業者の保護者エウマキアを讃える像)

女性はどのような仕事をして裕福になったかというと、不動産業(貸部屋など)をしていたようです。

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金と真珠のアクセサリー

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書字板と尖筆を持つ女性(通称「サッフォー」)

「第3章 人びとの生活:食と仕事」では、台所用品や食器類、黒焦げになった食材が展示されていました。また、医療用具、画材、農具、工具など、ポンペイの住民が使っていた仕事道具を紹介されていました。

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金庫

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テーブル天板(通称「メメント・モリ」)

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パン屋の店先の絵

「第4章 ポンペイ繁栄の歴史」では、3軒の邸宅「ファウヌスの家」「竪琴奏者の家」「悲劇詩人の家」をとりあげ、会場内に邸宅の一部が再現されていました。

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ファウヌスの家の床にあった絵画

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上記壁画の一部の拡大(アレクサンドロス大王) 歴史の教科書で見た記憶

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邸宅内のモザイク画

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邸宅内のモザイク画

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邸宅内の噴水の再現

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ファウヌス像

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邸宅内の様子の再現


第5章 発掘の今むかし」では、18世紀から現在に至る発掘の歴史が紹介されていました。

 

3.感想

(1)いくらお金があっても自然の災害には勝てない

数々の出土品から明らかなように、ポンペイ市民の中には途方もないお金持ちもいました。しかし、いくらお金があっても火山の噴火という自然の災害には勝てません。自然災害の前では皆平等であるという残酷な人生の一面を見たような気がします。

(2)お金持ちの「栄光よ永遠なれ」という願いが期せずしてかなってしまった悲劇性

成功している人は誰でも「自分(や子孫)の栄光よ永遠なれ」と願ったことがあると思いますが、ポンペイは街ごと火砕流に埋没することにより、当時のお金持ちの栄華が半永久的に保存されることになったのは皮肉であり、悲劇であるように感じます。

(3)優れた美術品は時を経ても残り続ける

優れた彫刻、絵画(タイル画、壁画)は、製作をした芸術家やモデルの名前は残らなくても、作品は永遠に残り続けます。また、当時の生活(服飾品など)を後世に伝えてくれます。美というのは、経年劣化に勝つ唯一の手段なのかもしれません。

(4)ヨーロッパの美男・美人の尺度は数千年を経ても変わらない

特に彫刻を見て思いましたけど、美男は筋肉ムキムキ、美女はすらりとしてほどよくグラマーな身体。顔も、今でも通じるハンサム、美女が揃っています。日本だと、昔はうりざね顔の細目が美人だったりしますが、ヨーロッパだと時を経ても美男・美女の尺度はあまり変わらないのだなあと思いました。

(5)すべての展示品に4か国語の説明がついていたことに対する驚き

すべての展示物には、日本語、英語、中国語(簡体字)、ハングルで、名称が書かれていました。また、(すべてではありませんが)主要な説明や展示物については、説明文もこの4か国語で書かれていました。母語が日本語でないお友達がいても、一緒に楽しめる展示になっています。

(6)採掘・復元の果てしない努力、遠く離れた日本で開催されたことに対する感謝

モザイク画にはひび割れの跡があったりして、割れてバラバラになった破片を組み合わせ、つなぎ合わせて、1枚の絵画に復元するまでの発掘・復元に対する並々ならぬ努力を感じました。展示物を貸してくださったナポリ国立考古学博物館、主催者、協賛者、後援者の皆さんのチームワークがなければ、これだけの展示物を運搬し、展示できなかったように思います。コロナ禍で海外旅行に行けない日が続いていますが、ポンペイ展の開催により、日本語で、ポンペイの主要な展示物の解説を読みながら、鑑賞できて本当によかったと思います。関係者の皆様、ありがとうございました。

 

4.ポンペイ展は2022年4月3日まで開催しています。ご興味のある方は是非いらしっしゃるとよいと思います。

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博物館の建物右脇奥の梅 今が満開

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梅の脇の通路を進むと現れる庭園 博物館入場者は無料で入れます

それでは、また。

 

書評「自分の意見で生きていこう」

こんにちは、にこいちです。今日は、1月11日に発行されたちきりんさんの著作「自分の意見で生きていこう」の書評を書きます。

 

ここまで書評を書くのが遅れたのは、正直に言えば、この本が私には非常に難しく感じたからです。ちきりんさんの言葉自体は平易な日本語で書かれているのですが、読者に対する要求水準が非常に高く、読み進むうちにぐさぐさナイフで刺されているような痛みを覚えます。なので、正解のない問題に対し、苦しみながらも自分にとっての答えを探し続ける意欲のある人でないと、読んでいてつらい本だなと思いました。

 

1.意見とはなにか、なぜ必要なのか。

(1)要約

ちきりんさんによれば、世の中のあらゆる問題は、「正解のある問題」と「正解のない問題」に分類されます。「正解のある問題」は調べれば正解の出る問題、「正解のない問題」は調べても正解が出ない、すなわち人がそれぞれ嗜好により選択すべき問題で正解がないものをいいます。「正解のある問題」は例えば手術の成功可能性、「正解のない問題」は例えば実際に手術を受けるべきかです。

「正解のある問題」には「正解」(=事実)か「誤答」(=事実に反する)があり、これは調査すれば分かるものとされています。しかし、「正解のない問題」に対しては、さまざまな「意見」があるだけで、「正解」も「誤答」もありません。カリスマや世間の常識も「正解」とは限りません。

また、重要な問題や人生には正解がありません。それは「どんな人生がもっともよい人生なのか?」という問いに正解がないから、とちきりんさんは説きます。もし「どんな人生がもっともよい人生なのか?」という問いに答えがあって学校教育等で教えられるものであれば、ダイバーシティ(多様性)に乏しくなり、社会の持続的発展にマイナスの影響を与える、と考えているそうです。

(2)感想

私は、この最初の章からつまずきました。最近読んだ別の本には「何をもって幸せとするかは人それぞれで、定義するのは難しい。とはいえ、誰にとっても共通の要素はある。それは、『思い通りの人生を送れること』だ。好きなときに、好きな人と、好きなだけ、好きなことができる。それは、何物にも代えがたい価値がある。そして、これこそが、お金から得られる最高の配当なのだ。」(モーガン・ハウセル箸「サイコロジー・オブ・マネー」126頁)とあって、私のモヤモヤ考えていたことをまさにまとめてくれたのが、この言葉だったからです。「どんな人生がもっともよい人生なのか?」に対する「正解」ってあるじゃないか、と思いました。

だけど、つらつら考えてみると、「思い通りの人生」は人それぞれであって、そこには「正解」はないのではないか、ということに思い至りました。例えば、学校的には、”見目麗しく生まれ、一流の学校を入学・卒業して、一流の会社に入って希望どおりの仕事をして出世して、経済的にも不自由なく、恋人・結婚相手や子供に恵まれ、友人や親せきにも恵まれ・・・”というのが「正解」となっている感じはします。だけど、皆が皆そういう生活はできないし、希望しているとも限らない。例えば「自由」を何より愛する人であれば結婚しないし子供もいらない、という選択になりそうです。

だとすると、ちきりんさんの言っていることと「サイコロジー・オブ・マネー」の言っていることは矛盾することではなく、むしろ相互補完関係にあるのかなあ、という感想に落ち着きました。人が「思い通りの人生」を歩み幸福になるためには、個々人が正解のない問題(選択肢)に対して決断し、自分なりの「意見」を持つことが必要だという結論になると思います。

 

2.「反応」だけではダメな理由

(1)要約

ちきりんさんは、「反応」(独り言)は「意見」とは異なると説きます。

「意見」とは発言者の立ち位置(ポジション)を明確にするものでなければなりません。他者の意見の否定や質問は「反応」であり「意見」ではありません。

「議論」はお互いの「意見」をぶつけ合うことなので、「反応はするけど自分の意見はない人」は「議論する価値のない人」として扱われてしまいます。

SNSの発達により「反応」する人は増えているけど、「意見」をいう人は増えておらず、インフルエンサーになるのも意見を言える人だけ。

意見を言えるようになるためには、①面倒臭さや「間違っているかもしれない」という不安、②反論されることへの不安、③リスクをとりたくない気持ちを克服する必要があります。

自分の意見が本当に自分の頭で考えた意見かどうか(=偉い人に左右されていないか)が重要であり、それを確認するためには偉い人が意見を翻した場合にも不安にならないかを確認する必要があり、もし不安になるのなら、不安にならないレベルまで考えつくす必要があります。

(2)感想

ここも、私にとっては痛みを伴う指摘でした。「反応」は頭を使わなくていいので楽だし、「意見」を言って反論されたら対応が正直面倒臭い、という気持ちがあります。「意見」を言っても、文句をつけられたり、「理窟っぽい」と言われて無視されたりってこともあったし。

でも、ちきりんさんの言わんとすることは分かる気がします。自分の「意見」のない人と話をしても、話に発展性がなくて、つまらなくて、時間の無駄のように感じますから。自分に「意見」がなければ、先方に同じように思われてもしかたがないのでしょう。

色々な不安や面倒臭さを乗り越えて、「反応」ではなく「意見」を言うようにしたいな、と思いました。

 

3.SNS時代に「自分」を創る

(1)要約

SNSで知らない人たちから「承認」されるためには、積極的かつ意識的に、自分の内面情報(その人がどんな人なのか、よくわかる情報)を提供する必要があります。

また、ネット上の人格がリアル社会における人格と同じくらい重要になりつつあり、就職や転職をする際の判断材料になることも増えてきました。人事分野で人工知能(AI)が活用されることも増えてきました。これからの時代、ネット上で自分の考えを発信しない人の思考記録はゼロと判定され、学歴がないのと同じ位不利になるとちきりんさんは予想しています。

かといって発信を極度に怖がる必要はなく、ネット上の発信はリアル社会でのふるまいと同じと考えて、年相応のマナーを守れば自分のありのままを表現すればいいのではないか、と提言されています。また、発信のホームベースをひとつに決めてまとめたほうが有利とか、自分に合った表現方法(言葉でなくてもOK)で途中経過も含めてどんどん発信するとよい、というコツもまとめられています。

(2)感想

ここは、比較的気楽に読み進めることができました。これからも、犯罪や法律違反、その他のマナー違反にならないように気を付けつつ、気軽に自分なりの発信を続けていきたいと思います。

ちなみに、私は、最近、ツイッターでもブログでも書評を書くことが多くなっています。自分がどういう分野に関心を持っているか、どの本にどのような感想を持っているかを発信することにより、自分の人となりを知ってもらえるかな、と思っているからです。

ツイッターで紹介するときは、広く浅く気軽に宣伝したいときに使っています。町の本屋さんになった気分でやっています。ブログはもっと思い切り思い入れがあり、親族や友人に配るレベルで気に入っている愛読書に限って紹介しています。

 

4.生きづらさから脱却しよう

(1)要約

生きづらさ問題の背景にあるのは「学校的価値観」(例えば、「友達の多い明るい子」が正解など)や同調圧力。ワンパターンな生き方を全員に目指させると、様々な人が生きづらくなったり、卓越した才能を潰してしまうリスクがあります。

世の中には「答え合わせが必要な人」と「答え合わせなど必要としない人」がいます。「答え合わせが必要な人」がいつまでも他人の反応を気にすると、自己肯定感が持てず、また、「強い他者」に依存するリスクがあります。そうならないためには、自分が好きな生き方や分野を選びそれを選んだ理由について考えつくすこと、自分で自分を理解し肯定することが必要です。

そのためには、自分の意見を日記やメモなどにまとめて束にして分析し、他人に開示することが役に立ちます。

(2)感想

この章は、うなづきながら読みました。

私も、特に小学生のころは学校に馴染めず、劣等感が強かったです。学校の教師や親が望む「勉強のできるよい子」にはなれず、「いいお嫁さん」になるための女の子らしいことにもあまり興味が持てず、ぼーっと考えごとをしてはボソっと理窟っぽいことを言って、同級生にいじめられたりしてました。かなり世間知らずで、小学校4、5年生まで高校と大学の違いを知らなかったし、「TODAI」とは「灯台」のことだと思っていました。灯台守って社会的地位が高い割に楽な仕事なのかなとか思ってたので、そういう名前の学校があると知ったときには非常に驚きました・笑。

小学校3、4年生のころ、学校的価値観にずっと違和感を抱えたまま「自分なんか世の中にいないほうがいいのかしらん」とか2年ほどつらつらと考えていましたが、あらゆる方面からためつすがめつ考えてみても、自分がそう感じるということは自分はそういう人間(=学校的価値観が合わない人間)で、それを受け入れて生きるほかしょうがない、人様を傷つけるわけではないし自分としてはどうしようもないからこのまま生きる、という開き直りの境地に至りました。また、そのころ、弱い自分を助けに来てくれる「白馬の王子様」とか「ヒーロー」を心から望んで天に向かって祈ったりしてもみましたが、そういう人は全く現れなかったため、自分で自分を救う「ヒーロー」になることに決めたのもよく覚えています。

その頃にあこがれた職業は「魔法使い」や「魔女」。弱い自分でも呪文を唱えたり、薬草を煮たりすることで、人を救ってお金を稼げると思ったから。

大人になって職業を決めるときも、「魔法使い」や「魔女」に近い、言葉で人を助けられる仕事を選びました。

そういう意味では、小学生のとき悩んで考え抜いたことは、将来の自分を形作る上で非常に役に立っています。

 

5.リーダーシップの最初の一歩

(1)要約

本当の仲間ないし家族と認められるためには、ともに考え、議論して方針を決め、ともに進むことが必要。リーダーシップをとらない単なるフォロワーは本当の仲間と認めてもらえません。リーダーシップの第一歩は自分の意見を持つこと。日本の「専門外のことには意見をいうべきではない」という風潮だと問題がいつまでも解決されません。意見をいう人は失敗しても学びがあって成長し、必ず評価されるので、めげずに意見を発信し続けることが重要です。

(2)感想

ここも耳が痛かった。自分の興味がない分野はついつい「お前にまかせる。好きに決めていいよ」と言っちゃいがちだし、自分の意見で相手が迷惑するといけないなと思うと意見を言えなくなったりします。が、今後は勇気を出して、自分なりの意見を言ってみようと思います。

 

6.オリジナルの人生へ

(1)要約

人生で重要な選択を迫られたときにどう決断するか、習ったことがある人はいません。特に、日本は組織のトップだけが意見を持てばよく、その他大勢はそれに従ったほうがよいという価値観で運営されてきました。

しかし、バブル経済がはじけて以降、日本ではイノベーションの重要性が強調されるようになりました。イノベーションに必要なのは、「あいつはバカだ、そんなの無理」と言われても自分の意見を貫けるような強い意見をもつ人です。また、グローバル化が進む中、明示的に意見を表明しなければ相互理解は進みません。加えて、男性中心の年功序列社会からフラットな社会になったり、低成長で様々な人が困難に直面したり、選択肢が豊かな社会では、自分で意見を持つことの重要性が高まっています。加えて、AIが発達した社会では、調べればわかることよりも自分で考えつくした意見を持つことこそが人間の価値となります。

リアルな議論の場を自分の周りに作りだしましょう。誰かが主催している勉強会を探したり、講演会を聴きに行くことに加え、自分から意見を発信して、家族や同僚、同級生など身近なところから議論ができる仲間を拡げていきましょう。

(2)感想

私はこの結論の章を読んで、自分の意見をもっと表明してみたくなり、2月中旬に新たに開始される個別株の勉強会に参加を決めました。「自分はAという株に投資したいと考えている、その理由は~」という意見と理由(調査の結果)を複数の人の前でプレゼンできるからです。どの企業をいいと思っているかなんて完全なる個人の趣味だし、誰を傷つけるわけでもないし、ネタとしては丁度いいかなと思っているので、がんばってトライしてみようと思います。

 

7.練習編「意見」をもてるようになる4つのステップ

(1)要約

①レベルチェック(現状把握):問われた問題に賛成か反対かのポジションを取り、なぜそう思うか100字程度でまとめ、メモする。

②無理にでも意見を言い切る。

③自分で自分に突っ込む:意見への反論を書き出す、反論に反論する、反論の反論に反論する、最初とは反対のポジションをとって同じ作業をしてみる

言語化する

(2)感想

ここもレベルが高くて難しい箇所でした。特にステップ③。意見への反論までは思いついても、反論に反論、反論の反論に反論までいくと、かなり頭を使う作業が入ります。うう、くじけそう。

 

8.練習をやってみた

(1)問題(263頁より抜粋)

公的な年金制度は廃止すべきだ。自分の老後に必要なお金は、それぞれ自分で貯蓄すればよい。どうしてもお金が足りなくなった場合は、生活保護を申請すればよい。

(2)意見「反対」

公的な年金制度は廃止すべきでない。自分の老後に必要なお金は年金で用意すべきであり、各人の貯蓄にまかせられない。生活保護に一本化すべきではない。  

(3)反論(=賛成)

①老後のお金の準備については個人の自由を尊重し、個人にまかせるべき。

②年金制度と生活保護の二つの制度を用意するとシステムの構築や人件費などのコストが2倍かかりお金と手間が無駄

少子高齢化が進む社会でこのまま年金制度を維持すると、世代間の不平等が進むばかりである

(4)反論に反論(=反対)

①個人にまかせてしまうと、マネーリテラシーの差が貧富の差につながってしまう。

②年金制度と生活保護については既存のシステムがそれぞれ構築され、人員も割り振られている。今から生活保護に一本化したら、却って変更にコストや手間がかかる。

生活保護に一本化すると、生活に困窮した多くの高齢者が生活保護になだれこむだけであり、減りゆく労働人口が増えゆく高齢者の生活を支えるという構図に変わりはない。

(5)反論の反論に反論(=賛成)

①マネーリテラシーに関し、学校や職場で教育を必須のものとすれば、貧富の格差につながるほどの差は生まれない。

②変更にかかるコストはわずか。それよりも現状を維持し、年金と生活保護の二つのシステムにコストと人件費をかけるほうが高くつく(→このへんはたぶん金額的なシミュレーションをすれば解決するような問題に感じる)。

③「生活保護」の烙印を押されたくないため、受給をためらう高齢者は多くいるはずなので、生活保護に一本化したほうが高齢者の面倒を見る費用がトータルでは安く済むはず。

 

9.まとめ

以上のとおり、「自分の意見で生きていこう」の書評はかなりの長文となりました。鬼軍曹にピシピシ愛のムチを振るわれながら、フルマラソンを走りぬいたような疲労感に包まれています。もうだめ、へとへとー。

ちきりんさんは、紙の本の著作はこれが最後となると宣言されていますが、本当に悲しい。紙の本の装丁やイラスト、帯がポップで人目を惹くデザインでとても素敵だから買い集めてずっと手元に置いていたのに。これからの本のデザインもとても楽しみにしていたのに。文章はここまで長くなくてよいので、何か別の形でまた紙の本の世界に戻ってきて頂きたいです。意見の撤回はいつでもwelcomeです!

 

では、また。

 

借金嫌いの私が唯一利用する借金は「貯金担保自動貸付け」

皆様こんにちは、にこいちです。今日は、私が唯一利用する借金について書いてみたいと思います。

 

1.借金嫌いの理由

その昔、私の実家は超貧乏でした。私が4歳のころに父親が仕事を辞めてしまい、7年間無職でお金がなかったのです。母が内職をしてわずかな現金収入を稼いでいましたが、焼け石に水。ほとんどの生活費は母方の祖父から出してもらっていました。

今でも目に焼き付いているのは、私が10歳のころ、子供達が寝静まった夜に、父と母がヒソヒソ声で

母「明日のお米がないんだけど、どうしよう?」

父「うーん・・・」

と会話を交わす姿。

折あしく、そのころ、テレビのニュースでは「サラ金問題」が取り上げられていました。夜逃げした一家の自宅マンションのドアにベタベタと貼られた「金返せ」「ドロボー!」「逃げるな」「死ね」等の張り紙は今でもはっきり覚えています。文字のいくつかは赤いマジックで殴り書きされていて、おどろおどろしく、子供だった私は大層おびえたものです。

「夜逃げってどうやってやるのかな?」「学校に行っている間に私だけ家に置いていかれて、他の皆が『夜逃げ』をしたら、私はどう生きていけばいいのだろう?」なーんてことをつらつらと考えている暗い小学生時代でした。

なので、借金は身震いするほど嫌い。どうしても子供のころの気持ちを思い出してしまいます。

 

2.それでも借金する理由

そんな私も、今までに数回、やむなく借金したことがあります。次のアルバイト代や給料が入るまでに大きな出費(例えばダブルスクールの費用など)があって、手元に現金がない場合でした。1回当たり3~5万円位です。

このとき使ったのが、ゆうちょ銀行の「貯金担保自動貸付け」です。

 

3.ゆうちょ銀行の「貯金担保自動貸付け」とは

(1)概要

ゆうちょ銀行で総合口座を作ると、通常貯金とセットで定額貯金や定期貯金を申し込むことができます。通帳の前のほうのページは通常貯金のページ、後ろのほうのページには、定額貯金や定期貯金が記入されることになります。

 

通常貯金の残高が足りない場合に、このセットで申し込む定額貯金や定期貯金を担保にして、不足分を自動的に貸し付けてくれる制度が「貯金担保自動貸付け」です。

 

例えば、通常貯金の残高が1万円、定額貯金が5万円あり、2万円を引き出したい場合には、通常貯金から1万円引かれ、残りの1万円は定額貯金を担保にしてお金が貸し付けられます。この場合、ATMからは2万円が払い出され、ここは普通の引き出しと何ら変わりがありません。しかし、通帳上の通常貯金の表記は「-10,000」になり、1万円の借入に対し利息を付けて返済しなければならないこととなります。

 

貸付の際の審査はありません。借金で得たお金の使い道は何でもOKです。特別なカードを作成する必要はなく、普通のキャッシュカードでのお金の出し入れでOKです。

 

(2)貸付金額の上限

貸付金額の上限は、預入金額の90%以内。すなわち、定額貯金が100万円あっても90万円までしか借り入れられません。

 

また、1冊の総合口座通帳につき300万円までです。300万円を借りたければ、333万3333円以上(定期も定額も1000円単位なので、実際には333万4000円以上)を預け入れる必要があります。

 

(3)貸付期間

貸付けの日から2年。

ただし、貸付けの日から2年以内に担保とする貯金が満期を迎える場合は、その満期までの期間となります。

また、元利金継続の担保定期貯金を担保とする場合は、貸付期間の範囲内で貸付けも継続されます。

 

(4)貸付金利

・定額貯金を担保とする場合:返済時の約定金利(%)+0.25%

・定期預金を担保とする場合:預入時の約定金利(%)+0.5%

※1年を365日とする日割計算

 

※担保となる定期・定額貯金が2口以上ある場合、どのような順番で担保となるか

①貸付期間が最も長いもの(1番新しく定額・定期貯金にしたものから順に遡って担保になる)

②貸付金の金利が最も低いもの(①貸付期間が同じ場合には、1番利率が低い定額・定期貯金から順に高い方に遡って担保になる)

③個別番号の大きいもの(①②が同じ場合)

 

例えば、

1  24-4-20 0.04%    50,000円 定額貯金

2  27-5-20 0.04%   100,000円 定額貯金 

3  4-1-20  0.002%  100,000円 定額貯金

の複数の定額貯金がある場合に、15万円を借り入れるとどうなるか。

一番最近に預けられた3番が最初に担保になります(9万円分、貸付の利率は年率0.252%、1年当たり約227円、2年で454円)。

次に、2番が1番よりも先に預けられているため、次に担保になります(6万円分、貸付の利率は0.29%、1年当たり174円、2年で348円)。

 

(5)返済の方法

借り入れた金額と利子に相当する額を、通常貯金に預け入れることで自動的に返済ができます。特別な手続きはありませんし、特別なカードを作る必要もありません。また、貸付期間内であれば、返済回数や1回当たりの返済金額に制限はありません。

 

※担保となる定期・定額貯金が2口以上ある場合、どのような順番で返済されるか

①預り入れ期間が最も短いもの

②貸付金の金利が高いもの(①が同じ期間の場合)

③個別番号の小さいもの(①②が同じ場合)

例えば、

1  24-4-20 0.04%    50,000円 定額貯金

2  27-5-20 0.04%   100,000円 定額貯金 

3  4-1-20  0.002%  100,000円 定額貯金

の複数の定額貯金がある場合に、4-1-20に15万円を借り入れ、1年後の5-1-20に10万円を返済すると、どうなるか。

2番が1番よりも先に預けられているため、先に返済されることになります。2番を担保にした借金は6万円分で1年分の利息は174円であるため、合計6万174円が返済されます。10万円から6万174円を差し引いた3万9826円が1番を担保とした借入金に充てられることになります。1番を担保とした借入金には227円の利息がついているため、3万9826円のうち227円は利息に充てられ、残りの3万9599円が元本の返済に充てられることになります(注:貯金担保自動貸付に対する特別な規定が見当たらないため、民法491条によれば、費用→利息→元本の順に充当されるはずです)。

 

(5)貸付期間内(最大で2年)に貸付金及び利子が払えない場合、どうなるか。

担保とされた定期・定額貯金が強制的に解約され、その払戻金が返済に充てられ、残額が総合口座の通常貯金に振り込まれることになります。

 

(6)将来、貯金担保自動貸付けを利用することを前提にした場合、お金を預けるには定額貯金と定期貯金とどちらがよいか。

定額貯金です。貸付金利は定額貯金のほうが断然安いからです。郵便局の職員にも確認しましたが、定額貯金一択を勧められました。(そのため、以後「定額貯金」のみについて言及します。)

 

3.まとめ

(1)どんな人が利用するとよいか?

・お金が手元にあると使ってしまう人

→現金でお財布に入れていたり、普通預金に預けていると使ってしまう人は、定額貯金にして、自由に下せないよう心理的ハードルを作りましょう。使いすぎると通帳に-(マイナス)ばかりが並ぶのは、悪い通信簿ばかり受け取っている学生のようで、意外とこたえるものです。-(マイナス)を消そうと思うと、仕事でもう少し稼いだり、節約しようという力が出るかもしれません。

・自営業や成果型報酬のサラリーマンで収入が安定していない人

 →金融機関(銀行やサラ金)から借り入れする場合に、収入の安定していない人は嫌われます。貸してくれないか貸してくれるにしても低い金額を高い利率でしか貸してくれません。ですので、比較的よい収入を得たときにさっさとゆうちょ銀行で定額貯金を作っておき、借金をできる余地を設けておくとよいと思います。

・学生、アルバイトやパート、専業主婦など、収入が低い人

→そもそも収入が低いと、やはり金融機関から嫌われます。ゆうちょの定額貯金は1000円以上を単位としていますので、収入があったときにへそくりとしてちょこちょこ預けておくと、後で本当に困ったときに助かります。

サラ金トイチ業者などに個人情報を渡したくない人

→いったん貸付金業者に個人情報を渡すと、「新たな借入のご要望はありませんか?」などの営業電話、「期限までに返してください」などの督促電話や督促状等に悩まされることとなります。貯金担保自動貸付けにはそういうわずらわしさは一切ありません。

・保証人がいない人

→定額貯金が担保ですので、保証人は必要ありません。

 

(2)どんな場面で利用するとよいか?

最大でも借りられる期間が2年ですので、一時的な資金不足をカバーするのにいいと思います。生活費はもちろん、住宅ローンの不足分や教育費の不足分に回すことも可能です。また、金額と心にリミッターを設けながら、借入金を投資資金や事業資金に回すのはありかもしれません。返済できなかったとしても、定額貯金で預けてある金額以上は失わないので「信用二階建てで億単位の借金を負う」なんてことにはなりません。

(3)どんなことに注意すべきか?

郵便局のATMが開いている時間でないと、借入及び返済ができません。また、期限近くなっても督促はきませんので、返済スケジュールを自分で組み立てる必要があります。

 

以上、ゆうちょ銀行の「貯金担保自動貸付け」について書いてみました。

では、また!

旅行記(10)-まとめ

にこいちです。今回の旅行記のまとめをします。

 

1.計画の立て方

今回の旅行のきっかけは、旅行記(1)に書いたとおり、木下斉さんのVoicyを聴いたからでした。配信内容がとても気に入ったので、Wordにメモを残し、それを元にA4の紙数枚の旅程表を作成しました。いつ何時ころにどこに行ってその次にどこに行って、というスケジュールを箇条書きでまとめていました。この旅程表があったおかげで、今回の広範囲の移動をこなすことができましたし、ブログを書く際の参考にもなりました。

 

2.予算と実際の額

予算は、宿泊費を1日6500円、飲食費(3食分)は1日1万円位を目途としました。交通費、拝観料(入場料)、その他を合わせて25万円位かなと思っていました。

しかし実際は、大幅にオーバー。合計で29万3814円かかりました。

宿泊費  ¥  52,821 
交通費  ¥121,319 
飲食費  ¥  93,240 
拝観料  ¥  22,620 
その他  ¥ 3,814 
合計  ¥293,814 

特に予想より金額が大きかったのは、交通費。行きの飛行機代、最初の3日間山口県を周るのに利用したレンタカー代、小倉から博多への新幹線代、博多から広島への新幹線代、広島から東京駅までの新幹線代がかかりました。結局、博多では時間がなくて屋台の食事位しかできなかったので、今回は外せばよかったかもとも思いましたが、コロナ禍がいつまで続くか分からなかったので、行けるときに行きたかったんですよね。もう少し時間がとれれば途中夜行バスにしたりして、もっと節約できたかと思います。

 

ホテル代はできるだけビジネスホテルやAirbnbを利用し、かなり節約しました。これはだいたい予算(6500円×8泊=5万2000円)のとおりでした。朝から晩まで外を歩き回り、ホテルではお風呂に入って寝るだけなので、私たち夫婦にはこれで十分です。ただ、セキュリティ的に女性1人だとキツいかな、というお宿もありました。1人旅だともっとかかると思います。

 

飲食費はかなり贅沢をさせてもらいました。朝ごはんはコンビニのパンとコーヒーで済ませましたが、昼や夜は、現地の名物料理など食べられるもの、試せるものはすべて試すことができました。非常に満足です。

 

拝観料もケチらず、当初の計画で行きたいと上げていたところはほぼ全部行きました。惜しむらくは、コロナ禍でいくつかの施設が閉まっており、行きたかったのに行けなかったことです。例えば、門司の出光美術館マツダの工場見学、江田島海軍兵学校は行けなくてとても残念でした。次回のチャンスを待とうと思います。

 

その他は、もみじ饅頭(おみやげ)やイチが途中で落とした手袋の代わりを買うための費用です。まあ、しょうがない費用かと思います。

 

3.今回旅行して思ったこと

(1)山口県(萩、仙崎、長門湯本、下関)

萩は歴史的・文化的な施設や展示物が充実しており、近現代史好きが旅行するには大変優れた場所でした。奈良・京都・鎌倉当たりと比べてもコンテンツの質の高さは遜色ないと思います。しかし、高齢化が一番激しく、古い建築物の案内人がほとんど高齢の女性ばかりだったのが気にかかりました。若い世代の育成を急がないと、街が維持できないのではないかと思います。

仙崎は、良くも悪くも、金子みすず記念館の人気にかなりあやかっている感じでした。不遇の人生を送った女性の人気に地元の街があやかるのには、少々複雑な気持ちになります。先崎市がシングルマザーに優しい街になるとか、みすずさんに返せない恩を若い女性に返してほしいなあ、と思いました。

長門湯本は、今回行った中で一番風光明媚なところでした。ホテルの前に美しい川が流れているなど景観が素晴らしいのに加えて、再開発で若者向けに街が作り変えられている感じ。高級ホテルも揃っているし、若者やファミリーの憩いの場になるかもしれません。ただ、私たちが行った平日は高齢者が多くて閑散とした雰囲気だったのが気にかかりました。

下関は、今回行った中で、一番荒んだ印象を受けた街でした。駅前なのに、夜遅くまでショッピングセンターの無料のスタンド形式の椅子で所在無げに佇む高齢者がちらほら。家にいたくないか、いる場所がないかのどちらかだと思います。大丈夫かしら。

(2)福岡県(門司、小倉、博多)

門司は、駅舎を始め、古い建築物がきれいに整備されていて見どころの多い街でした。外国に行かなくても異国情緒が味わえたのがよかったです。しかし、食べ物があまり美味しいものがなかったり、市場も閉まっている店が多くて、残念。コロナ禍の影響かもしれません。

小倉は、駅前が賑やかで、商店街もかなり発達していました。松本清張記念館小倉城があるなど見どころも揃っていました。小倉城近くには立派な図書館もあり、文化度の高さを感じました。市場には活気があり、鮨も大変おいしかったです。北九州に移住するなら、小倉はかなりいい場所ではないかと思います。

博多は、泊まった場所が悪かったんだと思いますが、お客のいない無料案内所ばかりで異様な雰囲気。今回は夫婦で行ったからしのげたけど、女性だけでは行きにくい場所のように感じました。屋台も数が少なくて活気が乏しく、先行きが心配になりました。

(3)広島県(広島、呉)

広島は、修学旅行生が多く、例えば原爆資料館では乗車率125%の電車に乗っている位の混み方でした。これだけ人が多いとコロナに感染するかも、とチラと感じました。夜の街・アーケード街は活気があり、男女共に人出が多かったです。東京や横浜の繁華街の雰囲気に一番近く感じたのは、広島でした。

呉は、ビジネス目的の泊り客が多いのか、観光目的のホテルがほとんどなくビジネスホテルばかりあるという珍しい場所でした。港近くに三菱重工の建物&看板があったり、造船所があったり、ディスコの大きな看板があったり、と様々な企業の城下町っぽい感じです。飲みにいく途中で呉市庁舎を見かけましたが、大層大きくて立派な建物でした。税収がしっかりあるためかもしれません。その一方で、小さい子供連れのご家族が大和ミュージアムに行ったり、夕呉クルーズに若い女性がたくさん乗車して熱心にスマホタブレットで写真や動画を撮影するなど「海軍さん」に対する信頼・熱気の高さを感じました。こういうところに生まれ育った子供で、素直で優秀な人は、海上自衛隊にすーっと入っていくのかもしれませんね。

(4)まとめ

今回の旅のテーマは「日本の近現代史を学ぶ」。おかげさまで、歴史にまつわる色々な場所を見学できました。特に今回は、色々な職業の人の給料明細表を見ることができたり、二次大戦のころの漫画を見ることができたのが、記憶に残りました。日常生活に関係する意外な資料が、当時の生活を後世に伝えることに感動を覚えます。こういう貴重な資料の寄贈者の皆様や当時の漫画家さんに心から感謝の意を伝えたいです。素晴らしい資料を残して頂き、ありがとうございます。

 

それでは、また!

旅行記(9)-呉→東京

こんにちは。にこいちです。旅行記(9)に行きます。

 

【9日目:呉→東京】

朝、ホテルの部屋で軽い朝食を食べてから、午前9時過ぎにチェックアウト。ホテルに荷物を預けて、出発です。

この日、当初は大和ミュージアムの向かいの海上自衛隊呉資料館(てつのくじら館)に行こうと思っていました。しかし、呉の駅の改札口前にある観光ちらしコーナーで気になるちらしを発見!「路線バスに乗って呉観光ボランティアと行く旧海軍の日本遺産巡り」(毎週土日祝日開催、参加料無料(但し呉市内1日乗車券と施設入場料は有料))。予約不要。https://www.city.kure.lg.jp/uploaded/attachment/59450.pdf

 

てつのくじら館の前まで行きましたが、開くのは午前10時からで見学時間1時間30分、4回の入れ替え制。もう少し呉を色々見学したい気がします。さんざん悩んだ末に、てつのくじら館を諦め、旧海軍の日本遺産巡りのほうに行くことにしました。

 

てつのくじら館や大和ミュージアムと呉駅を結ぶ歩道橋の途中に「くれ観光情報プラザ」があります。呉市内1日バス乗車券はこのくれ観光情報プラザで購入できるということだったので、まずはそこに向かいました。

 

「くれ観光情報プラザ」で1日バス乗車券を購入し、しばし掲示物を眺めます。アニメ映画「この世界の片隅に」に登場する場所を掲載している地図(原作者の漫画家こうの史代先生のイラストによるもの)や、日曜劇場(TBSドラマ)「この世界の片隅に」の主人公すずさんを演じた松本穂香さんや夫の周作さんを演じた松坂桃李さんの写真などが展示してあって、嬉しかったです。もともと広島に行くときには呉にも行きたいなあと思ったのは「この世界の片隅に」の影響です。すずさんがよく眺めていた風景を実際に見てみたいと思ったのがきっかけでした。

 

プラザに参加者が集まったところで出発。ボランティアさん3名(男性1名、女性2名)と参加者3名(軍事マニアっぽい男性1人、イチ、私)。まず、ちらしに集合場所として掲載されている呉駅前のスクリューモニュメントで他の参加者さんがいらっしゃるかどうかを待ちます。15分ほど待ったところで、他には参加者がいないことを確認し、バスツアーに出発です。

 

駅を背にして左側にある、昔そごうだったビル(今はどの会社も入っていない模様)の前のバス停からバスに乗りました。

10分ほど乗ったところで、眼鏡橋バス停に到着。ここで下ります。

ボランティアさんによると、↓の建物の左奥が将校さんたちの宿舎で右側が下士官の宿舎だったそうです。

 

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こうの史代先生のイラストが描かれている建物

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昔の海軍宿舎近くの建物1階に描かれたこうの史代先生のイラスト

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こうの史代先生のサイン 消えかけています。ご覧になりたい方はお早めに!

サインは「私の根っこはずっと呉にあります。ありがとう!こうの史代 (日付不明)」と書いてあります。貴重なサイン、ずっと残したいですね。

 

この建物の右の道を行き、途中左に折れて坂を上ると、入船山記念館があります。

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入船山記念館までの道

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マンホールマニアに有名なマンホール1

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マンホールマニアに有名なマンホール2

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戦前ダンスホールだった建物 コンサートホールとして使用していたが現在非公開

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ユーモラスな駆ける子供達の彫刻 子供に人気があるそうです

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入船山記念館の入口

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旧呉海軍工廠(こうしょう)塔時計

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旧呉鎮守府(ちんじゅふ)司令長官官舎

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司令長官官舎の電灯

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美しい壁紙(金唐紙) 再現に3~4年かかったそう

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ステンドグラス

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入口のドアのガラスを裏から見たところ

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調度品もゴージャス

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食堂

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当時の料理の献立の例 テーブル上には料理を再現したサンプルがあります

当時の料理の献立例が文字だけでなく、サンプル(たぶん蝋細工)で再現されてテーブルの上にセットしてあります。こういう展示は珍しいですね。

献立例は、ソモン(サーモン?)と西洋野菜のテリーヌ、アスぺラガース・スープ(アスパラガス・スープ?)、ボイルドフィッシュ(コールドフィッシュ)、シチュードチッキン 付合 香草(分かるような分からないような?)、ローストビーフ 付合 クレソン ホース・ラディッシュ、レモン・アイスクリーム、タピオカプリン 黒豆添え。案外冷たいお料理が多かったり、デザートは今とあまり変わらないメニューだったり。料理好きの人でミキサーがあるなら、自宅でも再現できそうな感じです。

 

次に、資料が展示されている建物に行きました。ここでも漫画が展示されています。

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伊勢新聞」昭和14年9月14日掲載の漫画

「艦内スナップ」「痛くても痛くない三等兵」「いたいか!!」「い・え いたくありません」 三等兵が上官に髪をバリカンで刈られて半分坊主になり泣いている様子の絵。こんな暴力が日常茶飯事だったのでしょうね。艦内の様子が、暴力も含めて、こうして後世に伝えられることはとても大切だと感じます。

 

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伊勢新聞」昭和13年6月29日掲載の漫画

「水泳部員の夢」「落ちる瞬前です」ハンモックに寝そべった水兵さん。船のてっぺんから水着で飛び降りる夢を見ています。昭和13年だとまだ戦況がそこまで厳しくなかったのかしら。のんびりモードの漫画です。

 

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「日向新聞」昭和12年2月16日掲載の漫画

「三等はめしの時だけうらやまれ」 何で階級が下の人のほうがご飯の盛りがよかったのでしょうか。羨ましそうによだれを垂らしてみている上官の顔がユーモラスです。目の剥き方などがよく特徴を捉えていて、きっとこんな風に表情を顔に出している人が実際にいたんだろうなあと思います。食べ物の恨みはこわいですね。

 

入船山公園バス停を出て、子規句碑前バス停で下車し、歴史の見える丘に向かいました。その後、バスに乗って潜水隊前バス停で下車。

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周作さんとすずさんが病院を出た後に会う階段(入れません)

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JMUの造船所

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船を造っているところ

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船を造っているところ

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 工場跡

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「歴史の見える丘」の立て札

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戦艦大和の碑 大和ミュージアムができる前はこちらが人気だったそうです

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子規の句碑

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海上自衛隊の「第一潜水隊群」「潜水艦教育訓練隊」があります

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潜水艦が見えます

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艦船も近くで見えます

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海上自衛隊があります

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古いクレーン

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戦前からある倉庫

倉庫の1つはリノベーションされて、カフェ兼土産物店「澎湃館(ほうはいかん)」になっていました。もう少しゆっくり見たかったのですが、ここで時間切れ。ボランティアさんや他の参加者さんに別れを告げて、バスで呉駅に戻りました。

 

呉駅に戻ると、広島駅に引き続きまたもや「ディスコ」の大きな看板が。呉は海軍の招致に成功した後、戦後は三菱重工や日本製鉄などの重工業の工場を誘致することで栄えてきた都市ですが、2023年9月末をめどに日本製鉄の工場が閉鎖されることが決まっています。今度は「ディスコ」などの半導体関連産業が工場を拓くかもしれないし、別の企業が誘致されるのかもしれない、と思うと俄然興味が湧きますね。

ボランティアさん等との会話から、彼らがいかに呉を愛しているか、海軍さんや誘致した企業を誇りに思っているかをひしひしと感じました。全体的にキリっと締まって整然とした雰囲気に包まれた人と街でした。ここに工場を作りたいと思う社長さんの気持ちが分かる気がします。

 

呉に別れを告げて広島駅に戻り、新幹線に乗って東京に戻りました。昼ご飯を食べそこなったので、広島駅で駅弁を購入。食べ終わったあとは眠気に襲われスヤスヤ。

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廣島上等弁当

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廣島上等弁当の中身 意外と地味かな

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瀬戸のかきめし

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瀬戸のかきめしの中身 牡蠣がプリプリでおいしい

自宅まで無事に帰り着きました。

自宅に荷物を置いたあと、ジャズの生演奏を聴きにライブハウスに行き、出演メンバーの若いお兄さんを連れ出して焼きとん屋で一杯飲んで、この日を終えました。

あー、遊んだ!久しぶりの長い旅でした。コロナの第6派が来てしまい、全国でも感染者が1万人を超えたので、当分こういう長旅は無理でしょう。12月初旬に思い切って旅行に出て、本当によかったです。

では、また!